04-06-04 魏六 十六国の終焉

 劉裕りゅうゆうの時代、西涼せいりょう李暠りこうが死亡し、武昭王ぶしょうおうと諡された。子の「李歆りいん」が立ったが、数年して北涼ほくりょう沮渠蒙遜そきょもうそんより挑発を受け攻撃、大敗し殺され、西涼が滅んだ。


 劉裕が死亡、劉義符りゅうぎふが立った。

 拓跋嗣たくばつしが死亡し、太宗たいそう明元帝めいげんていと諡された。子の拓跋燾たくばつとうが立った。


 劉義符が臣下に殺され、劉義隆りゅうぎりゅうが迎え入れられた。


 赫連勃勃かくれんぼつぼつが死亡、子の「赫連昌かくれんしょう」が立った。

 北魏ほくぎと夏が戦い、赫連昌が捕らえられた。

 夏の残党は平涼へいりょうにて「赫連定かくれんんてい」を皇帝に据えた。


 西秦せいしん乞伏熾盤きっぷくしばんが死亡。子の「乞伏暮末きっぷくぼまつ」が立った。


 北燕ほくえん馮跋ふうばつが死亡し、弟の馮弘ふうこう」が立った。


 赫連定が西秦せいしんを攻撃。乞伏暮末を拉致し、殺した。西秦が滅んだ。

 赫連定は更に北涼を攻撃しその領土を奪おうとしたが、背後から吐谷渾とよくこんの軍に襲われ、捕らわれた。吐谷渾は北魏に赫連定を送りつけた。こうして夏は滅んだ。

 なお吐谷渾とは慕容ぼよう氏から枝分かれした種族である。


 北涼の沮渠蒙遜が死亡し、子の「沮渠牧犍そきょぼくけん」が立った。


 北魏は燕を攻撃した。馮弘は高麗こうらいに逃れるも、高麗で殺された。北燕が滅んだ。

 北魏は涼を攻撃した。姑臧こぞうを壊滅させ、沮渠牧犍は降伏した。北涼は滅んだ。


 北魏は「崔浩さいこう」を殺した。

 崔浩は拓跋嗣たくばつしの時代より謀臣となっており、多くの功績を挙げていた。道士の「寇謙之こうけんし」を信奉し、拓跋燾にもともに信奉するよう勧める。そして天師てんし道場どうじょうを建てた。

 ここまでならばともかく、彼らは仏教を特に嫌悪した。僧侶を殺し、仏像仏典を破壊した。

 後に拓跋燾は崔浩に国史の編纂を命じた。ここで崔浩は過去の「事実」を「ありのままに」書き、その内容を石碑にして道路に並べた。北人たちは皆怒り、崔浩が国悪をぶちあげた、と讒言。拓跋燾は大いに怒り、崔浩およびその一族を皆殺しとした。

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