04-07 蒙求 東晋南朝分
04-07-01 蒙求 東晋南朝分 上1
謝安(世説)&王導(世説)
東晋後期の大宰相謝安は40歳になるまで仕官せず、東方で清高潔癖な暮らしを貫いた。
東晋を打ち立てた大宰相王導は、多大な功績こそ挙げたものの常に皇帝を最優先とする姿勢を貫いた。
東晋のふたりの大宰相、その性質は結構反対。
郗超(世説)&王珣(世説)
東晋の名将桓温にはふたりの名幹部がいた。豊かな髭を蓄えた郗超、おちびの王珣である。ふたりは桓温をよく笑わせ、よく怒らせたという。
桓温を大いに支えたふたり。
賀循(晋)&孫綽(世説)
東晋はじめの人、賀循。彼はその学識、その節義高き振る舞いより朝廷の人々より大いに頼り、敬われていた。
東晋中期の文人、孫綽。彼はもろもろオモシロ行動の目立つ人であったが、その文才が当時において抜きん出ていたため、重んじられていた。
突き抜けたふたり。性質は真逆。
周顗(世説)&司馬昱(世説)
東晋初期の名臣、周顗。自他共に厳しいひとであり、そのありようはまるで切り立った岩山のようである、と評されていた。
東晋簡文帝、司馬昱。皇帝になる前に会稽王であった彼の存在は実にたおやかなものであり、ピリピリした宮中の緊張感も、彼が現れることで朝靄が立ちこめるかのごとく和らいだという。
東晋名臣たち、そのありよう。
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