04-06-09 魏七 文成帝・献文帝

 北魏ほくぎ文成帝ぶんせいていが死亡し、高宗こうそうと廟号が送られた。太武帝たいぶていが四方に遠征を繰り返したため国庫が大いに損耗したところを、文成帝が遠征を鎮め、国内外の経営に集中したため、北魏人の心もやや安定した。子の拓跋弘たくばつこうが立った。献文帝けんぶんていである。


 献文帝は太子の拓跋宏たくばつこうに譲位し、自らは太上皇帝たいじょうこうていと名乗った。とは言え,拓跋宏がいまだ幼かったため万機を総覧した。献文太上皇は譲位したとは言えいまだ年若く聡明であったが、一方で道教や仏教に入れあげており、俗世より離れたい、という気持ちを強く持っていた。


 あるとき献文太上皇の母、馮太后ふうたいごうの寵臣である李奕りえきが献文太上皇によって殺された。馮太后は怒り献文太上皇を弑殺、垂簾政治を開始した。

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