02-03-10 漢一 張良 完

 劉邦りゅうほう呂雉りょちを差し置き側妾の「戚姫せきき」を寵愛、「劉如意りゅうにょい」を生んだ。呂雉の息子である皇太子の「劉盈りゅうえい」は心優しかったが柔弱であった。劉邦は自らに似た劉如意を皇太子につけようと考えたのだが、群臣は争うようにして「あってはならないことである」と諫める。しかし劉邦、聞く耳を持とうとしない。そこで呂雉は使者を張良ちょうりょうの元に遣わせ、劉盈を留め置くための計略を諮った。張良は言う。


「言葉で諫めようとしても難しいでしょう。そこで、太子に手紙をしたためて頂きなさい。宛先は、陛下がどうしても召し抱えることの出来なかった四人の賢人、いわゆる「四皓しこう」です。陛下は彼らを非常に尊敬しているのですが、当の彼らは陛下が士を面罵しているところを見たため山中に逃れ、義を貫き、漢に仕えずにおります。そこで、太子です。手紙の内容は謙譲を尽くし、太子御自ら彼らの元に出向かれ、太子の賓客として来朝を乞い、彼らの姿をちらりと陛下にお目にかける、と言うのも一案でしょう」


 早速呂雉が張良の助言通りにしたところ、四人の君子は来朝した。一方劉邦はこのとき黥布げいふ討伐より帰還するところであり、帰還したら廃太子の詔勅を下そうと考えていた。ところが帰って酒宴を開いてみると、劉盈の側には例の四人がいる。歳はいずれも八十以上、髭も眉も真っ白で、衣冠を身につける姿はまこと堂々としたもの。四人の名前は聞き及んでこそいたがその外見を知らずにいた劉邦、彼らの正体を聞き、大いに驚く。

「わしがそなたらを数年乞うておったのに逃れておられたはずが、どうしていま、わしの子と遊んでおられるのか?」

 四人は答える。

「陛下は軽々に士を軽んじ、罵倒なされます。陛下より屈辱を受けたくはない、ゆえに逃れておりました。しかるに、太子の仁孝にして士に恭敬を尽くされる様を拝見し、天下に太子のために死を厭わぬ者はおるまいと確信、こうしてまかり越しました次第です」

 劉邦は言う。

「ならば、諸賢をお煩わせることとなろうが、我が子をどうかお導き頂きたい」

 四人が退出した後、劉邦は戚夫人を召喚。四人の存在を語った上で、彼らの補佐を得た以上、皇太子を変更するのは難しくなった、と語った。


 張良が死亡したのは中央で呂雉の権勢かまびすしくなっていた前 189 年、劉邦が死んで六年後のことである。

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