02-03-04 漢一 高帝劉邦 4

 劉邦りゅうほうの父太公を太上皇とした。


 劉邦は秦の過酷な法律を教訓として法を簡素なものとしたが、結果として群臣はひとたび酒が入ると口々に功を言い争い、論戦し、果てには剣を抜いて宮殿の柱に切りつけたりする。この様子を見て「叔孫通しゅくそんつう」が劉邦に言う。

「儒者とは天下を取る相談こそ出来ませんが、手に入れた天下を統治するのには役立ちます。より儒者を呼び寄せ、儀礼を制定なされませ」

 魯にいる儒者のうち二名がこの召喚に反対する。理由は戦乱がすぐ昨日のことだというのに礼楽が易々と興せるはずもない、と言うものだった。

 とは言え、多くの儒者は叔孫通の召喚に応じていた。そこで彼らとともに劉邦の近侍らや自らの弟子弟子百人あまりとともに屋外にて儀礼の練習を執り行った。


 前 200 年、長楽宮ちょうらくきゅうが落成。諸侯を招き朝賀させるが、このときの儀礼が叔孫通らによって制定されたものだった。諸侯以下、ある程度の高官までに順次祝辞を述べさせたが、儀式中に演奏された礼楽の荘厳さにみな畏れ謹んだ。儀礼に違うものについては容赦なく退出させられた。そのため式典の間中大声を上げて場を乱す者は現れなかった。式典の成功に劉邦は喜び「皇帝として尊ばれるとはこのようなものなのか」とコメント、叔孫通を太常に任じた。


 匈奴きょうどが国境付近を荒らして回る。そこで劉邦りゅうほう自ら出陣。代谷だいこくに「冒頓単于ぼくとつぜんう」が駐屯していると聞き、攻撃を仕掛ける。三十万の軍勢で北上、平城へいじょうに到着。冒頓単于もまた四十万騎を率い、白登山はくとうさんにて劉邦軍を七日間にわたり包囲した。陳平ちんぺいは密かに冒頓単于の夫人に使者を遣わして冒頓単于を説得させ、包囲を解除させた。陳平はこのほかにも北征の間、六回ほど劉邦を助ける計略を発した。その都度陳平の封爵地が加増された。


 前 198 年、婁敬ろうけいが匈奴との和親の使者として遣わされた。このとき劉邦は宗族の子を自らの娘として偽り、単于に降嫁させた。



蒙求もうぎゅう


蕭何定律しょうかていりつ 叔孫制禮しゅくそんせいれい

 劉邦のもとでルールを定めたふたり。蕭何が法律を、叔孫通が儀礼を制定した、と言うわけだ。つまりこのふたりが漢の屋台骨をつくったとも言える。


婁敬和親ろうけいわしん 白起坑降はくきこうこう

 婁敬は劉邦りゅうほうに戦略面で関わったひと。匈奴きょうどにに和親のため呂后りょこうとの間の娘をおやりなさい、とも説いた。これは呂后により却下され、親族筋の娘が送り出されたのだが。

 一方の白起と言えば当然長平。四十万の兵の投降を受け入れた、ふりをして、ことごとく穴埋めにした。

 トンデモネー大罪の政策をぶち決めたふたり、という感じのようですね。

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