02-03-05 漢一 高帝劉邦 5

 前 197 年、代国(漢と匈奴との国境付近)の宰相「陳豨ちんき」が謀反を起こし、劉邦自ら制圧に出る。このとき韓信かんしんの臣下の縁者と自称するものが「韓信は陳豨と結び謀反を図っている」と密告。そこで呂雉りょち蕭何しょうかが示し合わせ「陳豨が既に敗死している」という虚報を流し、韓信を謀反人平定の祝賀に参内させた。やって来た韓信は捕らえられ、一族もろとも処刑された。


 彭越ほうえつが謀反を企んでいるという情報が劉邦の元に届く。そこで調べさせると確かであったので、いちどしょくに追放という処置を執った。しかし呂雉が後々の災いになりかねないと進言。これにより一族もろとも殺された。


 劉邦は陸賈りくかを南に派遣、南海なんかいを取り仕切っていた趙佗ちょうたに南粤王の称号を与えた。趙佗はもともと独立勢力であったが、漢への臣属を表明。陸賈が帰還してそのことを告げると、太中大夫に任ぜられた。

 ちなみに陸賈は儒者であり、劉邦に詩経書経の講義をする役割を請け負っていた。講義のさなか、突然劉邦が切れる。

「わしは馬に乗って天下を得たのだ! 詩経書経なぞ要らん!」

「なるほど、馬に乗って得られましたな。ではそれをどう保ち置かれようと仰るのです? 文武を併せ用いて、初めて為し得るのではないでしょうか。秦が天下を統一したとき仁義ある政をしておりましたら、さて、陛下は天下を獲得できましたかな?」

 劉邦、その通りだと思い直し、言う。

「では秦の崩壊、わしの成功、これらの理由を過去の事例から引き出してみてくれんか?」

 そこで陸賈が十二巻からなる書物を編み、一巻ごと劉邦に献上。それを読んで劉邦も良きものであるとし、「新語」と名付けた。



蒙求もうぎゅう

二疏散金じそさんきん 陸賈分橐りくかぶんしゃ

 疏広そこうとその甥、疏受そじゅは皇帝や皇太子の教育係としての栄誉に浴していたが、やがて引退。皇帝らより多くの金を授かる。故郷に戻ったふたりは皇帝よりの金で毎日酒宴。周りのものは「陛下よりいただいた金はもっと別のことに使うべきでは?」と諫めるも、かれら「既に我が家には資産がある、だと言うのにこの金を持ったままでいたらみなだらけて働く気もなくなろう」と答えた。

 陸賈りくか劉邦りゅうほうの命により南海なんかいのひと趙佗ちょうたを漢に取り込もうと出向いた。そこで趙佗に大いに気に入られ、値千金の宝玉が入った袋を授けられた。やがて呂雉りょちが専横を極めた時代に郊外に引退。五人の子に二百金分ずつ財宝を分け与えた。更にその後、漢室から呂氏勢力の排除に尽力もしている。

 財宝を元手にした余計な欲望を抱くことなく、終わりを全うした三人。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る