02-03-06 漢一 高帝劉邦 完

 黥布げいふ劉邦りゅうほう韓信かんしんを殺し、彭越ほうえつの死体を塩漬けにしたのを目の当たりとし、同じような功績を挙げた自分にもまた災いが及ぶものと怯え、ついに決起した。劉邦は自ら鎮圧に出向いた。


 前 195 年、劉邦は黥布を鎮圧し帰還。その際に立ち寄って孔子こうしを祀った。更に故郷のはいに出向き、親族や旧知と宴を開いた。ここで劉邦が歌を詠み、それを青年らに歌い継がせるようにした。また沛の地を皇室御用達の湯治地とした。歌は以下のような内容である。


大風起兮雲飛揚

威加海內兮歸故鄕

安得猛士兮守四方

 大風が雲を吹き散らかすがごとく、

 我が武威が天下を治め、

 そしていま、こうして故郷に

 顔を出すことが叶った。

 願わくば勇猛の士を得て、

 天下の安寧を守りたいもの。


 劉邦は黥布と戦っているときに流れ矢を浴びていた。その傷がもとで重病を得る。病床にて、呂雉りょちが劉邦に問う。「蕭何しょうかが万一死んだら、誰を後任につけるべきでありましょうか?」

曹參そうしんが良く、その次は王陵おうりょうであろう。ただ王陵はやや心細いので、陳平ちんぺいに補佐させるようにしろ。陳平は知恵ものでこそあるが、全ての判断を任せるわけにもいかん。周勃しゅうぼつは重厚であるが行政処理に弱い。太尉とするのが良い。劉氏の天下を安泰に出来るのは周勃に間違いがない」と語った。呂雉が更にその次を尋ねたが、劉邦が言ったのは「そのあとのことなど把握できようはずもないわい」であった。


 こうして劉邦は死んだ。長陵ちょうりょうに葬られた。漢王であること四年、その後皇帝となり、八年。在位十二年であった。太子の劉盈りゅうえいが立ち皇帝となった。のちの惠帝である。



蒙求もうぎゅう

陵母伏劒りょうぼふくけん 軻親斷機かしんだんき

 劉邦りゅうほうの配下将、王陵おうりょうの母親が項羽こううに囚われた! 人質として交渉しようとする項羽であったが、辱めに遭うくらいならば、と、王陵の母はみずから剣の上に身を投げ、死んだ。

 孟子の本名は孟軻もうか。その母は教育熱心であり、孟子の教育環境改善のために二度の引っ越しをした。それほどの熱の入れようなのに、息子に進捗を聞くと「まぁまぁかな」などとほざく。なのでママ氏、いきなり自らの機織り機をぶち壊し「お前の学が断たれるのは、私の機織り機が壊れるのと同じなのよ!」と絶叫。よくわかんないけど迫力に負けた孟子、それからは学業に打ち込んだそうな。

 息子のために異常なまでの迫力を示すママ氏お二方がノミネートでございます。

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