03-04-03 漢九 桓帝劉志 3

朱穆しゅぼく」が冀州きしゅう刺史となった。県令県長は朱穆についての噂を聞いていたため数十人ほどが辞職し逃げ出した。噂はすぐに現実のものとなった。汚職や私利私欲に走る官吏らを次々と弾劾したのだ。


 ある宦官が父の葬儀のために故郷に戻ったのだが、父を送るにあたって皇帝を葬るのと同じような服装をさせた。その話を聞いた朱穆は現地に赴き、死体からその服をはいだ。

 桓帝かんていはこの話を聞いて激怒し、朱穆を召し出して廷尉に引っ立てた。すると太学生の「劉陶りゅうとう」ら数千人が署名を集めた上桓帝に訴え出る。


「宦官どもが国の中枢を握り、その手に王の爵位を握り、口からは天の憲法を司るかのごとき発言をなしております。朱穆はひとり宦官の乱脈に抗い、心から国の将来を憂い、陛下のために深く配慮しております。ならば臣らより御願い奉ります、どうしても処罰が必要ならば、どうか我らを朱穆の代わりに処罰くださいますよう」


 桓帝はこれを聞いて朱穆を許した。劉陶は更に上奏し朱穆や李膺りように皇室の補佐をさせるべく願い出たが、そちらが省みられることはなかった。



 梁冀りょうきの専横は日増しにひどくなっていた。外戚であることをいいことに自分勝手に政を進めること実に二十年以上にもおよび、その暴威は内外にまでおよび、桓帝もただそれを手をこまねいて見届けるしかなかった。

 桓帝はついに宦官の「単超たんちょう」らと結託し、兵を集めて梁冀より大将軍の印綬を取り上げた。大権を失った梁冀は間もなく自殺し、梁氏につらなるものは長幼問わずみな公開処刑となった。

 この誅殺劇に功のあった単超ら五人はみな侯爵に封じられ、人々はこれで政が改善されると期待した。「黄璚おういつ」が太尉となり、以後の取り仕切りとなった。

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