01-15-04 秦八 商鞅

 商鞅しょうおうの改革の性格がわかるようなエピソードが更に紹介される。


 商鞅は咸陽かんようの南門に7メートルほどの木材を立て、これを北門に移したものには十金を与えると布令を出した。しかし人々は怪しがって手を出さなかった。商鞅、今度は金額を五十斤として同じ布令を出す。するとひとりの男が、ものは試しに、と移動。本当に五十金が与えられた。こうして法令の信義を明らかとした。


 あるとき秦の太子が法に違える。商鞅は「法が守られないのは、上の者が守らないからである。しかし太子を処罰するわけにもゆかぬ」と、太子の守り役「公子虔こうしけん」「公孫賈こうそんか」らに処罰を加えた。これらを知り、いよいよ秦人は法令に従うようになった。


 だが孝公が死に太子、すなわち「恵文王けいぶんおう」が立つと風向きが変わる。公子虔をはじめとした者が商鞅に叛図あり、と讒言したのだ。

 そこで商鞅は脱出、途中で旅籠にさしかかる。そこで言われたのが「商鞅様の定めた法により、手形なきものは泊められない」である。ああ、と商鞅は嘆じる。「法を厳しくすれば、このような羽目に陥るのか」と。

 最終的ににたどりつきこそしたものの、魏は商鞅を捕らえ、秦に送還させる。そして商鞅は車裂きの刑に処された。


 最後に、商鞅の法令運用の過酷さについて触れておこう。田んぼの広さが申告されたものよりも少しでも大きければ税のごまかしを目論んだとして処罰、道に灰を捨てれば肥料を粗末に扱ったとして処罰である。その調子で、渭水いすいの側で受刑者を処罰したところ、渭水が真っ赤に染まり上がったという。

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