04-08-10 梁九 元帝・敬帝

 元帝げんてい蕭繹しょうえき。すがめであり、残忍な性分をしていた。江陵こうりょうにて即位したのだが、侯景こうけいの乱以後西方の州郡はその大半が西魏せいぎのものとなっていた。しょくにいたってはその全域が西魏に奪われていた。すなわち梁と呼べる領域は巴陵はりょうから建康けんこうに至る地域のみ、かろうじて長江ちょうこうによって守られるという有様であった。


 さらに西魏は柱国将軍ちゅうこくしょうぐん于謹うきんを派遣し江陵を攻撃させた。元帝は古今の図書十四万巻を焼いた。嘆じて言う。

「文武の道は、今夜に潰えた」

 そして西魏に降伏した。ある者が焚書の意図を問えば、元帝は答えている。

「万巻を読んで、なお今日があるのだ」

 間もなく殺された。在位は三年であった。


 西魏は襄陽じょうようを獲得すると蕭詧しょうさつを江陵に移し、帝位を名乗らせ、兵に守らせた。のちに後梁こうりょうもしくは西梁せいりょうと呼ばれる。


 王僧弁おうそうべん陳覇先ちんはせん晋安王しんあんおう蕭方智しょうほうちを皇帝代理に立て、建康で称制体制を敷いた。これより以前、貞陽侯ていようこう蕭淵明しょうえんめい北斉ほくせいに捕らえられていたのだが、北斉は兵を伴い蕭淵明をりょうに送り込んできた。王僧弁は蕭淵明を奉じ、帝位につけさせた。陳覇先は王僧弁を殺し、蕭淵明を廃し、改めて蕭方智を帝位に就けた。敬帝けいていである。


 敬帝は元帝の子である。十三歳で即位し、陳覇先を丞相とした。

 陳覇先は相国しょうこく陳公ちんこうとなり、九錫きゅうしゃくを授かり、間もなくして陳王に進んだ。敬帝は在位三年未満で陳に禅譲した。間もなくして殺された。


 梁は武帝ぶていより四代、五十六年にして滅んだ。

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