04-08-09 梁九 簡文帝蕭綱

 簡文帝かんぶんてい蕭綱しょうこう。皇太子であること十八年にして侯景こうけいの乱に遭遇、武帝ぶていの死を経て即位した。とは言えその立場は侯景に大いに掣肘を受けるものであった。


 この頃江陵こうりょうでは湘東王しょうとうおう蕭繹しょうえき(のちの元帝げんてい)が仮黄鉞かこうえつ大都督だいととく中外諸軍ちゅうがいしょぐん承制しょうせいを自称。襄陽じょうように配されていた昭明太子しょうめいたいし蕭統しょうとうの第三子である岳陽王がくようおう蕭詧しょうさつ(のちの西梁せいりょう皇帝)と交戦していた。状況不利を悟った蕭詧は使者を西魏せいぎに送り、臣従を誓った上での加勢を願い出た。西魏は蕭詧を梁王とした。


 侯景は漢王かんおうを自称し簡文帝を殺害。在位は三年にも満たなかった。侯景は豫章王よしょうおう蕭棟しょうとうを立てた上、ついには簒奪をなした。


 こうした動きを受け、始興太守しこうたいしゅ陳覇先ちんはせんが侯景を討つべく起兵した。蕭繹もまた配下将の王僧弁おうそうべんに侯景を討たせるべく派遣した。侯景は簒奪後わずか数ヶ月にして王僧弁と陳覇先に破られ敗走、より海に逃れようとしたところを配下に捕まり、殺された。その屍は建康けんこうに送られた。首は江陵に送られ、その手足は切り取られた上、北斉ほくせいに送られた。


 蕭繹が即位した。

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