04-09 隋の天下統一

04-09-01 陳九 武帝文帝宣帝

 ちん高祖こうそ武帝ぶてい陳覇先ちんはせん呉興ごこうの人である。梁武帝りょうぶていの時代に広州参軍こうしゅうさんぐんとなった。広州に起きた乱を平定した功績から将軍となり、また交州刺史こうしゅうしし司馬しば西江都護せいこうとご高要太守こうようたいしゅ督七郡諸軍とくしちぐんしょぐんとなり、その後もしばしば乱の鎮圧に功績を挙げた。


 侯景こうけい台城だいじょうを落としたとき、陳覇先は始興太守しこうたいしゅとなっていた。このとき郡じゅうの豪傑を集め、侯景討伐のため決起した。まず江州こうしゅうを獲得して州刺史しゅうししとなり、そこから兵を率いて諸軍と合流、侯景を討ち果たした。


 こうしたことから梁にて実権を握り、ついには皇帝となったのだが、即位後三年にして死亡した。子は二人いた。陳昌ちんしょう陳頊ちんきょくである。しかしどちらも江陵こうりょう西魏せいぎによって陥落した際に長安ちょうあんに連れ去られてしまったため、兄の子である臨川王りんせんおう陳蒨ちんせいが立った。文帝ぶんていである。陳武帝の元で功績を挙げていた武将でもあった。このため民の苦しみをよく汲み上げ倹約に努めた政をなした。在位八年で死亡した。


 太子の陳伯宗ちんはくそうが立ったが、在位三年で安成王あんせいおうの陳頊、すなわち武帝の子に廃された。


 陳頊が即位した。宣帝せんていである。宣帝は文帝の時代に陳に送還されていたのである。

 宣帝は在位十四年で死亡した。その太子の陳叔宝ちんしゅくほう、すなわち陳後主ちんこうしゅが立った。


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