03-08-12 漢一 司馬師・昭 上

 魏の名士、「李豊りほう」。曹丕や曹叡が幾度となく招聘するほどの人物であった。司馬師は李豊がこちらの殺害を企んでいるものと思い、殺した。曹芳はこのことから司馬師を警戒するようになり、その殺害を計画しはじめた。しかし計画を実行に移せぬまま司馬師によって帝位を廃された。在位 16 年であった。司馬師は「曹髦そうぼう」を皇帝に迎え入れた。曹丕の息子にして曹叡の甥である。14 歳で帝位に就いた。


 揚州都督の「毋丘倹ぶきゅうけん」や刺史の「文欽ぶんきん」が司馬氏討伐を謳い決起した。司馬師はこの乱を討伐したのち、死亡した。

 弟の「司馬昭しばしょう」が兄の事業を継ぎ、大将軍、録尚書事となった。さらに大都督、仮黄鉞を得て、揚州都督の「諸葛誕しばたん」が起こした謀反の討伐に出、諸葛誕を殺した。

 司馬昭は相国となり、晉公しんこうに封じられ、九錫きゅうしゃくを授けられそうになったが、辞退した。


 曹髦は自身の権威が日に日に削減されているのに耐えきれず、怒りを抱いていた。そして言う。

「司馬昭の心なぞ、道ゆく誰でも知っておるところだ」

 やがて殿中の兵らや侍従の少年らを率い、太鼓を打ち鳴らし、司馬昭を討たんと決起した。司馬昭の配下である「賈充かじゅう」は宮殿に踏み入って曹髦たちと戦い、その部下である「成済せいさい」が戈にて曹髦を刺し、車の下にて殺害。曹髦は死後庶人に落とされた。在位 7 年。司馬昭は曹璜そうこうを迎えて皇帝とし、「曹奐そうかん」と改名させた。これが魏の末代帝、元帝げんていである。「曹宇そうう」の子にして曹操そうそうの孫である。15 歳で即位した。

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