04-02-04 東晋 王導 3

 王導おうどうが死んだ。


 成帝せいていは即位時いまだ幼く、王導より指導を仰ぐため、出会うごとに拝礼をしていた。それは加冠して後も変わらず、政をほぼ王導に委ねていた。

 王導は琅琊ろうや王氏ばかりが突き抜けてしまいかねない朝廷内の家門のバランスを考え、太原たいげん王氏の王述おうじゅつを補佐官として採用した。


 このとき王述は人々に知られていないどころか、むしろ愚か者ぐらいの評価であった。しかし王導が王述に江南こうなんの地の米相場について問えば、王述は目を見開くのみで、まともに答えようとしない。あまりにも馬鹿馬鹿しい質問だ、とリアクションしたようなのである。このため王導は語る。

「決して阿呆ではないぞ、王どのはな」


 この頃の王導の権勢は余人の追随を許さぬほどのものであった。王導が何かを発言すれば、誰しもがそれにおべっかを使う始末。その中にあり、王述は居住いを正し、言う。

「誰が堯舜ぎょうしゅんほどの聖人になれると言うのですか。ならば、あらゆることに最善の選択肢を選べるお方なぞこの世におりましょうか?」

 取り巻きの追従に天狗になりかけていた王導は、この発言を聞いて背筋をのばし、王述にその驕慢ぶりを謝罪した。


 王導の性格は寛容にして温厚。そのため現場の判断を将軍たちにほぼ丸投げすることも多かった。こうしたことから法度を守らない将軍が多くなり、大臣たちはそのことを懸念するようになった。

 庾亮ゆりょうは特にその先鋒であり、兵を起こして王導を廃するべきであるとまで言い出す。

 そうした庾亮の動きを王導に密告するものがいたが、王導は言う。


「わしと庾亮殿はもはや親族とすら呼ぶべき間柄である。彼がもし、わしを攻め立てんと志されるのであれば、わしはただ引き下がるのみよ。恐れることもない」



蒙求もうぎゅう

王述忿狷おうじゅつふんけん 荀粲惑溺じゅんさんわくでき

 東晋中期の名士、王述はとにかくすぐ怒る。ゆで卵が箸でつかめない。怒る。床にぶん投げ踏もうとするが失敗。怒る。拾い上げて食った。

 荀彧の末っ子、荀粲。彼は「女は顔だけあればいい」と憚らずに言い切る口であったが、そんな彼は妻を失うと憔悴しきり、他の人に「顔だけでいいのならすぐに後添えも見つかるだろうに」と言われても「アレの変わりなぞいない」と言い、一年後に死んだ。

 ともに世説新語の編名ですね。

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