04-02-03 東晋 陶侃 下

 陶侃とうかんは聡明にして決断も早く、恭しく、かつ勤勉であった。かつてこのようなことを語っている。

「かの大いなる禹は聖人でありながらにして寸陰をも惜しんだ、と言う。ならば我々庶民たちはその十分の一の時間すら惜しむべきではないのか」


 また、幕僚たちから酒盛りの道具や博打の道具などを取り上げると、長江ちょうこうに投げ捨てて、言う。


樗蒱ちょぼなぞ豚を飼う者どもがやるものではないか!」


 かつて船を作ったとき、竹の頂上部や木のクズなどの数を帳簿に控え、倉庫にしまうことがあった。

 のちに正月の宴が開かれたとき、雪解け後すぐで地面がぬかるんでいた。そこで陶侃は倉庫から、過日倉庫に収めた木屑たちを地面に撒き、足場を確保した。

 さらに残った竹の頂上部たちは、のちに桓温かんおんしょくを制圧するときの船を作る際、釘として用いられた。


 その道理をわきまえ、細部に至る配慮のきくことはこのようであった。


 成帝せいていが即位すると、蘇峻そしゅんが謀反を起こした。庾亮ゆりょうの取りなしを受け陶侃が決起、蘇峻を討伐した。

 その後、死亡した。


 陶侃は八州を総督し、その威名は高らかに響き渡っていた。


 ある者はこのように語っている。


「陶侃は、かつて夢にて八枚の翼を負い、上天門を目指したことがあったと言う。しかし九天のうち八天にまでいたり、左の翼が折れ、墜落してしまった。この夢が印象深かったため、独自勢力となる力もあったに関わらず、あくまで臣下としての分を貫くよう自制したのだ」


 軍務にあること 41 年、明察、剛毅、確実、果断。陶侃を欺けるものなどおらず、南陵なんりょうから白帝はくていにいたる数千里の道で、落とし物をネコババするものすら現れなかった。

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