03-06-08 蒙求 下2
郭丹(後漢)&祖逖(晋)
前漢末、幼いころに母を亡くした郭丹は糊口をしのいで、のちに南陽郡からの使者として函谷関をくぐり関中入りした。このとき函谷関に対して「天子のお目に留まり、立身するまでは再びこの函谷関をくぐるまいぞ」と近い、光武帝の時代にその志を果たすのだった。
東晋初期の名将、祖逖。五胡勢力が亡命政権である晋に追撃を掛けようとする中、祖逖はひとり迎撃を誓う。「中原を清めることなくば、長江を再び渡るまいぞ」。結局中原は清められなかったが、その威名は大いに五胡勢力を恐れさせた。
不退転を誓う決意。
賈逵(後漢)&許慎(後漢)
賈逵、と言っても三國志に出てくるひとではない。後漢中期の学者である。春秋の注釈に熱を上げ、世間の出来事にはまるで関心を払わなかった。幼いころから学問のことばかりで、世の人々からは「物事についての質問ばかりするひとだ」と称されていた。
現存する最古の字典と言ってもいい『説文解字』を編纂した後漢の学者、許慎。彼もやはり学問の虫であり、その学識の深さは、当時の人から「当今無双である」とまで言われていた。
学問に強烈に入れあげていたふたり。
盛彥(晋)&姜詩(後漢)
三国呉末期の人、盛彦。彼の母親がほぼ失明状態になった。これに絶望した彼女は召使いへの虐待という形で憂さを晴らそうとする。憾みに思った召使いは彼女に感螬、虫の幼虫を食べさせた。盛彦はこの事態に動揺したが、なんとそれによって母氏の視力が回復した。
前漢末、姜詩は妻とともに長江の水を好む母のため数里の道程を掛けて汲みに行き、その期待に応えたという。神がその孝行を感じ取ったか、ついに家の側にある井戸から長江の水のような味がする水が湧き出し、また毎日二尾の鯉が取れるようになったという。
母に対する献身、そこに訪れる奇跡。
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