04-10 隋の滅亡

04-10-01 隋十 文帝楊堅 中

 統一から11年後の600年、文帝ぶんてい太子たいし楊勇ようゆうを廃し庶人とした。


 もともと文帝は楊勇を大いに政に参与させていた。状況に応じ法制の増減を調整などもしており、またその性分も寛和温厚であった。またいたずらに自身を取り繕うような所もなかった。とはいえ文帝が質素倹約を旨としていたのに反し、楊勇の日常は多く奢侈であった。このため徐々に寵愛が薄れていった。また楊勇は多くの側妾を抱え、正妃がまともに寵愛されることもないまま死亡した。あとには多くの庶子が残された。


 文帝の皇后、楊勇の母である独孤皇后どっここうごうはこうした振る舞いを深く憎んだ。悪いことに楊勇の弟、ちんの征討を統帥した晋王しんおう楊広ようこうは自らの評判を飾り立て、兄より嫡位を奪う計略を立てた。やがて独孤皇后も文帝に廃嫡を進言した。こうして楊広が改めて太子となった。


 龍門りゅうもんの人、王通おうつうが文帝に目通りし太平のための十二策を献上したが、文帝は受け入れなかった。以降王通は河水かすい汾水ふんすいの間、おおよそ河東郡かとうぐん周辺で後進の教育に携わった。多くの弟子が教えを受けるために王通の元にやって来たという。

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