01-16-05 蒙求 中2
顔叔子(毛詩伝)&宋弘(後漢)
顔叔子が小屋で雨宿りしたとき、いきなり壁が崩れた。壁の向こうには寡婦がひとり。男女が同じ部屋で眠るのはヤバいと婦人が去ろうとするも、顔叔子はまぁまぁと彼女のためにろうそくを継ぎ足し続け、ついぞ手は出さなかったという。
宋弘は光武帝の時代の人。光武帝の姉が未亡人になったので、宋弘の所に後妻に出すのはどうか、と言う話になった。ただそれは宋弘の今の妻と離縁することを意味する。そこで宋弘、栄達よりも今の妻との絆を取った。
女性に対して貞節を示したふたり。
巫馬期(呂氏春秋)&宓子(呂氏春秋)
ふたりとも単父と言う地の長官で、その土地をよく治めていた。しかし前者は早朝から夜遅くまで方々を飛び回っての統治、後者はほぼ役所で琴を弾きながらの統治であった。ヘトヘトになっていた巫馬期は、宓子にどのように治めていたのかを問う。「そりゃ、人々に任せていたからさ。自力でどうにかしようとすれば疲れるに決まってる」。
任せられるところはどんどん任せていきたいものですね。
郝子廉(風俗通)&雷義(後漢)
郝子廉はものすごいドケチで食べ物も着るものもまるで手に入れようとしなかった。その一方で恵まれたことに対してはきっちり金を払った。姉に食事を提供して貰ったときにもムシロの下に銭を残したし、川で水を飲めば川に銭を投げ込んだという。
雷義はかつて冤罪で死罪になりかけた人を救った。その人から金二斤の返礼があったが、受け取らない。その人は雷義の留守を見計らって、その家の屋根裏に金を隠して去った。雷義が屋根の修理をしたときに初めてその存在が発覚するも、そのとき持ち主は既に死んでいた。そこで雷義は役所にこの金を献上した。
富や贅沢に関わろうとしないふたり、でいいのか?
程邈(戦国秦)&周史官(漢書芸文志)
牢の番人だった程邈は罪を得て自分が牢獄に繋がれることになったものの、そこで隸書を産みだしたのだ、と言う。この文字は始皇帝に献上されて、公式フォントになった。
史籀とは周の時代、子供に文字を教えるために編纂された教科書のこと。そのフォントが大篆であったという。
フォントにまつわるお話。
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