01-16-04 蒙求 中1
公父文伯(国語魯語)&孟宗(三國志)
公父文伯、宴会で出したスッポンがめちゃくちゃ小さかったと言うことで、宴会の主賓にぶち切れられたり、母親からも「なんでそんな恥ずかしいことをしたの!」と怒られたそーである。
孟宗は貧乏人出身、呉で苦学の末役人に立志した人。かれは池の魚を管理する役人となれたので、これまでかけた労苦に報いるため母親に池の魚で寿司を作り、母に送った。そしたら母に「職権乱用とかアホか!」と切れられた。
水の生き物を食べることに関する失敗談。失敗談って言うか、そこにキレられるんだ……と思わないでもない。
樗里子(史記)&邊韶(後漢)
樗里子は秦の恵王の弟。甥の武王の宰相として活躍し、ユーモラスな語り口でありながらも大変な知恵者であったそうだ。死に際し、墓の場所を選定すると「後の世に、天子の宮殿がこの墓を挟み込むのだろうな」と語った。事実漢の時代に、樗里子の墓を長楽宮と未央宮が挟む形になったという。
邊韶は後漢のひと。非常にふくよかな体格で、またとても口が回るひとであったそうだ。あるとき昼寝していたところを弟子に「あの体格だからいろいろだるいんだろうなwww」とからかわれる。そこに対して「俺の腹は書庫。眠っているときに周公と論じあう、これは孔子もなしていたこと。で、師匠を嘲るのは何の典拠に基づくのかね?」と言い返したのだとか。
論者ふたりといった感じだけど、それ以外には何の繋がりがあるんだろう……?
夏侯嬰(西京雑記)&王果(神怪志)
前漢、劉邦の側近のひとりである夏侯嬰の称号が滕公。馬に乗って東都門に至ったところで突然馬がここ掘れヒヒーンとし始める。そこを掘ってみれば、古代文字で「この佳城(=墓のこと)は三千年もの間土の中で眠るが、やがて日の目にさらされる。この地に滕公が葬られることとなろう」と書かれた石版が発掘された。なので夏侯嬰は死後その場所に葬られた。
王果は将軍として蜀の地に就任することになった。蜀に向かう途中、崖に石版が引っかかっているのを見つけ、調査に向かわせる。そこには骸骨が転がっていた。側の石版にはこうあった。「長江はおれを三百年間漂わせた末、ついに王果に巡り合わせるだろう」。この出会いに感じ入った王果、この骸骨を懇ろに祀ったという。
石版が見はるかす、遙かな未来。
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