03-12-06 蒙求 西晋分 下2
張翰(晋)&陶潛(晋)
西晋の張翰は八王のひとりである司馬冏に幹部として召し出されたが、間もなくしてふるさとが恋しいので、と故郷に帰還してしまった。それから間もなくして司馬冏は敗亡した。
かえりなんいざ、である。詩人陶淵明は東晋末期に宮仕えをしていたが、宮仕えが性に合わないから、と職を辞し、故郷に引っ込んだ。
隠棲後間もなくして、主が滅んだ……でいいのかしら?
虞斐(晋)&戴淵(世説)
東晋の宰相王導は虞斐こそが次の宰相たるべき才覚人望を兼ね備えていると目していたが、結局その見立ては叶わなかった。なお虞斐は本来虞「馬斐」です。機種依存文字になるため便宜的に「斐」にしてます。
西晋末、陸機が戴淵による強盗働きに遭遇。その指揮があまりに優れたものであったため、思わず陸機は「何故あなたほどの才持てる者が強盗になど身を落としているのだ」と呼びかけ、友としての交わりを結んだ。
才あるからと栄達できるわけでもなく。
氾毓(晋)&郗鑒(世説)
西晋初期の青州に生きた氾毓は多くの孤児を匿い、育てた。そうした振る舞いが皇帝の耳にも留まり招聘を受けたが、拒否した。
東晋初期の名士、郗鑒。彼が西晋から東晋に亡命するに当たり、その名声より各地の人々から食事の援助を受けた。彼はそういった援助を受け取るたび、口の中に食べ物を残しておき、外で待つ子どものために残したという。
小さな子どもたちのためにできること。
王述(晋)&荀粲(世説)
東晋中期の名士、王述はとにかくすぐ怒る。ゆで卵が箸でつかめない。怒る。床にぶん投げ踏もうとするが失敗。怒る。拾い上げて食った。
荀彧の末っ子、荀粲。彼は「女は顔だけあればいい」と憚らずに言い切る口であったが、そんな彼は妻を失うと憔悴しきり、他の人に「顔だけでいいのならすぐに後添えも見つかるだろうに」と言われても「アレの変わりなぞいない」と言い、一年後に死んだ。
ともに世説新語の編名ですね。
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