04巻 東晋南北朝

04-01 元帝司馬睿

04-01-01 東晋 元帝司馬睿 上

 元帝げんてい、名は司馬睿しばえい司馬懿しばいのひ孫にして、瑯琊王ろうやおう司馬伷しばちゅうの孫、そして司馬覲しばきんの子に当たる。ただし一部では司馬睿の母が、実は小吏の牛金ぎゅうきんと姦通し司馬睿を産んだという説も流れている。

 司馬覲の後をついで瑯琊王となった。恵帝けいてい懐帝かいていから見ると再従兄弟に当たる。


 懐帝かいていのとき、安東あんとう将軍しょうぐん都督揚州諸軍ととくようしゅうしょぐんに任じられ、建業けんぎょうに赴任した。司馬睿は「王導おうどう」を謀主ぼうしゆ、すなわち副官とし、あらゆる事項を王導に諮問した。もともと司馬睿の呉土における名声は軽く、呉人は司馬睿に帰順しなかった。しかし王導が呉の名族や中原からの亡命者ら百名あまりを登用。これら人材は百六掾ひゃくろろくえんと呼ばれた。


 愍帝びんていは司馬睿を左丞相さじょうしょうに任じた。


 洛陽らくよう人の「祖逖そてき」は中原を奪還したいと申し出てきた。しかし司馬睿に北伐を行おうという意思がない。なので豫州刺史よしゅうししの地位と兵千人を与えるにとどまった。武器防具の支給はしなかった。


 愍帝から司馬睿のもとに、更に丞相じょうしょう都督中外諸軍事ととくちゅうがいしょぐんじに任じるとの報せがもたらされたが、間もなくして長安ちょうあんが陥落した。それを聞いてようやく司馬睿は北伐をすると表明したが、結局実行はしなかった。

 群臣が司馬睿に晋王しんおうに就くべく勧め、更にその翌年にはついに皇帝を名乗りやがった。


 この頃漢では劉聡の死亡に伴い内乱が発生。石勒と劉曜りゅうようが相並び立つ事態となった。


 豫州では祖逖が死亡。中央で元帝と荊州を守る王敦の関係が険悪になっているのを憂慮しながらの死亡であった。

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