04-01-02 東晋 元帝司馬睿 下
そこで元帝は「
その結果、ついに
劉隗や刁協は元帝に王氏を皆殺しとすべく勧めるが、元帝はそれを許さない。そこに「
刁協や劉隗らは王導とは別に兵を動かしていたが、どちらも大敗。城に逃げ帰った。この事態を受け、元帝は百官を石頭に出向かせ、王敦に謝罪を申し出た。王敦は周顗らを殺害し、元帝に謁見することなく兵を返し、武昌に帰還した。
元帝は憂いと怒りから病を得、遂に死亡した。在位は 6 年であった。太子の「
東晋初期の名臣、周顗。自他共に厳しいひとであり、そのありようはまるで切り立った岩山のようである、と評されていた。
東晋簡文帝、司馬昱。皇帝になる前に会稽王であった彼の存在は実にたおやかなものであり、ピリピリした宮中の緊張感も、彼が現れることで朝靄が立ちこめるかのごとく和らいだという。
東晋名臣たち、そのありよう。
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