04-01-03 東晋 王導 1
もともと司馬睿の
更にその後、中原からの亡命者である「
「
「江南の地に
「目の当たりとする景色に、際立って中原と違ったところもない。だと言うのに、それでもなお
すると、王導が言う。
「いまは晋室復興のために力を尽くすべきである。楚地に逼塞していることを嘆いてみたところで、何ほどの実効があろうか」
東晋後期の大宰相謝安は 40 歳になるまで仕官せず、東方で清高潔癖な暮らしを貫いた。
東晋を打ち立てた大宰相王導は、多大な功績こそ挙げたものの常に皇帝を最優先とする姿勢を貫いた。
東晋のふたりの大宰相、その性質は結構反対。
斉出身の戦国四君、
卑しい身分の人たちとも、食のレベルでは対等であり続けたふたりの名士のお話。
東晋はじめの人、賀循。彼はその学識、その節義高き振る舞いより朝廷の人々より大いに頼り、敬われていた。
東晋中期の文人、孫綽。彼はもろもろオモシロ行動の目立つ人であったが、その文才が当時において抜きん出ていたため、重んじられていた。
突き抜けたふたり。性質は真逆。
東晋初期に大きな存在感を示した、王敦。彼ははじめ多くの側妾を抱え込んでいたのだが、あるひとにそれを諫められたため、突然全員を屋敷から追い出した。
東晋初期の名臣の一人、紀瞻の家にいる踊り子に、周顗がベタ惚れして連れ出そうとした。この振る舞いが罪に問われたと言うことなので、もしかしたら周顗によって連れ出されてしまったのかもしれない。ただ、周顗の才能が惜しいと言うことで、罪は不問となった。
安定の女性の扱いの軽さ。
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