03-07 霊帝献帝

03-07-01 漢十 黄巾党の乱

 関中では西邸せいていという施設にて官位売買がなされ、高い官位であればあるほど値段も上がった。この制度に乗り、「崔烈さいれつ」は五百万銭を支払い、司徒の位を得た。崔烈が息子に自身の評判がどのように変わったかを調べさせたところ、息子は答える。

「銅銭臭さがたまらん、とは言われていました」


 こうした動きが人々の不満を爆発させる。鉅鹿きょろく郡に住まう「張角ちょうかく」は妖術でもって人々を誑かし、太平道たいへいどうを自称して人々の病を治してみせる。このときに用いられていたのは呪符を溶かした水だった。張角は高弟らを四方に遣わせ、次々に民を太平道に引き込んでゆく。

 十年あまりの年月が経ったころ、信徒の数は数十万にのぼる。張角は信徒を三十六部に分けた。大きな部は一万人をこえ、小さな部でも六、七千といった規模にのぼる。それぞれに渠帥きょすい、すなわち部の長が立てられ、各部が一斉に蜂起した。

 黄巾こうきんとう党の乱の始まりである。


 黄巾党は各地で破壊略奪を繰り返す。ひと月するかしないかの内に各地の民衆が黄巾党に饗応、規模が拡大していく。

 朝廷は鎮圧のために「皇甫嵩こうほすう」に軍を預け、派遣した。このときの討伐軍には「曹操そうそう」がおり、ともに黄巾党軍を撃破して回った。


 皇甫嵩こうほすうが討伐に向かって間もなく、張角ちょうかくが死亡。皇甫嵩はその弟と戦い撃破、斬った。



蒙求もうぎゅう

魯褒錢神ろほうせんしん 崔烈銅臭さいれつどうしゅう

 晋の魯褒は「銭神論」を著し、当時の銭至上論っぽい風潮を皮肉った。のはいいのだが、後世になると「ここに書かれている通りだ」とマジレスで受け止められるようになってしまったという。

 後漢末、霊帝が官位を競りに掛けて無茶な朝廷財政改善策に乗り出した。このとき崔烈が思いっきり銭を積み、人臣の極みたる三公の位を買い上げる。世間体を気にする崔烈が自らの評判を問い合わせたところ「銭くさくてたまらん」という評価を得た。

 銭はヤバい。魔物。

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