03-07-02 漢十 董卓

 間もなくして霊帝れいていが死亡した。在位二十二年、改元は四回。子の「劉弁りゅうべん」が立ち、太后が臨朝した。

 何太后の兄の「何進かしん」が朝廷の大権を握ると、そこに「袁紹えんしょう」が進み出、宦官を滅ぼすべきと進言する。何太后がうまく回答できないでいるうちに袁紹は他のものと画策、周辺から猛将を集め、兵を率いて洛陽らくように向う。そして何太后を脅した。

 このとき袁紹らが将軍のひとりとして招いたのが、「董卓」である。


 董卓が到着するよりも前、何進は宦官らによって殺された。袁紹は兵を動員して宦官らを捕らえ、長幼の別なく殺し尽くした。その数は二千人あまりに及び、ヒゲがないからという理由で殺されたものもいた。

 そこに董卓が到着する。一体何が起こっているのかを劉弁に尋ねるが、要領を得た答えは帰ってこない。一方で、劉弁の弟である「劉協りゅうきょう」の受け答えは見事なものだった。そこで董卓は劉弁を廃位し劉協を即位させるべきだ、と言う。しかし袁紹は反対。すると董卓が激怒した。袁紹は慌てて出奔した。

 邪魔者を追い出した董卓、満を持して劉弁を廃し、劉協を皇帝につけた。「献帝」である。


 献帝けんていは九歲為にして董卓とうたくによって立てられた。しかし洛陽らくようよりも東の地では次々に反董卓勢力が立ち上がる。盟主は袁紹えんしょうである。董卓は洛陽の宮殿及び霊廟を焼き払い、長安に遷都した。



 長安では、「王允おういん」らが密かに董卓を討たんと計画を進めていた。この謀議に参加していたのが「呂布りょふ」である。常人離れした膂力を誇り、董卓より寵愛を受けていた。しかし些細な過ちを犯したため董卓より戟を投げつけられていた。すんでのところで躱しこそしたものの、以降董卓のそばにいることを危ぶみ、王允と密かに結託したのである。

 董卓が自宅を発し、北掖門より宮殿入りする。王允らはそこで待ち伏せをし、遂に董卓を車から追い落とす。董卓は呂布に助けを求めたが、呂布は言う。

「詔が下った。逆臣を討つ」

 そして駆け寄り、手にした矛で董卓を刺殺した。


 これより以前、董卓はに三十年ぶんもの兵糧を備蓄し、金銀や高価な絹織物なども山のごとく積み上げ、以下のように豪語していた。

「ことをなさば天下の主、なしえぬとしてもこの宝で余生を過ごせようよ」

 しかし殺された後、その屍は市中にさらされた。董卓は非常に太っており、へそに蝋燭の芯棒を挿し、火をつけた。そのひは数日の間燃え続けたと言う。

 董卓の残党は挙兵し長安城を襲撃、王允を殺した。呂布は逃亡した。



蒙求もうぎゅう

王允千里おういんせんり 黃憲萬頃おうけんばんけい

 王允は後漢末、朝廷を席巻した董卓とうたくを暗殺した首謀者。結局は政争に巻き込まれ横死するのだが、若い頃には「王を乗せる千里の馬がごとく王を補佐するであろう」と評されていた。

 後漢安帝あんてい頃の人士として圧倒的な評価を得ていたのが黄憲。彼は「千頃の池など比べものにならないくらいに奥深い人物だ」と表されている。

 巨大な数字に絡んだ、名士の評価。

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