02-09-06 蒙求 下1

廣德從橋こうとくじゅうきょう 君章拒獵くんしょうきょりょう

 前漢元帝げんていの時代、元帝げんていが本来川の向こうの宗廟に橋を渡ってゆかねばならないところを船で行こうとした。それを薛広徳さいこうとくが諫め、「お聞き入れ頂かねばこの首はねてこの血で穢し、祭祀どころではさせなくいたしましょう」と言い切って従わせた。

 後漢の郅惲しつうん王莽おうもうにも屈服しなかった剛のひと。ある日光武帝こうぶていが猟を楽しんだところ門限を回っても帰れなかった。そこで郅惲、門を閉じて光武帝の帰還を拒否した。陛下が門限守らんとかアホですか! と上奏し、讃えられたそうである。

 皇帝相手にもしきたりを断固として守らせようとするふたり。



淮南食時わいなんしょくじ 左思十稔さしじゅうじん

 前漢の淮南わいなん劉安りゅうあん武帝ぶていとともに文学を楽しみ、食事や宴会の時に武帝とともに文学談義をなしたという。ただしのちに謀反し処刑された。

 西晋の代表的文人のひとり、左思さし。かれは生まれ故郷の華やかさを讃える賦をものしたが、そのときにかかった日にちが一年だった。後日魏呉蜀ぎごしょくそれぞれの都の華やかさを讃える賦をものしたときには、今度は十年もの歳月を要した。

 とことんまで文学を突き詰める鬼ふたり。



季珪士首きけいししゅ 長孺國器ちょうじゅこくき

 三国魏、曹操そうそうに仕えた崔琰さいけん、あざな季珪きけいは曹操に逆らったかどで殺されたが、後日の名士評論においては当時の名士の中のトップである、と評価された。

 前漢武帝ぶていの時代に御史大夫にまで立身した韓安国かんあんこく、あざな長孺ちょうじゅは、呉楚七国ごそしちこくの乱において梁王りょうおう劉武りゅうぶがこの乱に関与するのを食い止め、むしろ平定に尽力させた。やがて罪を得て収監されるのだが、その人器の大きさが認められ、獄中にありながらにして地方長官に任じられるほどであった。やがて武帝よりそなたは国の器だ、とまで讃えられるに至る。

 大きな器を讃えられたふたり。



寇恂借一こうじゅんしゃくいち 何武去思かぶきょし

 光武帝が誇る雲台二十八将のひとり、寇恂。彼は地方鎮撫に優れた手腕を誇った。ある地方の乱を光武帝が寇恂とともに平定、帰還しようとしたとき、民らは「寇恂様を一年、この地方の長官としてお留めください」と嘆願したという。

 前漢成帝の時代、蜀で公平な人物の推挙をなした何武は、沛郡でも、中央でもはやり公平な推挙をなした。中央では儒者と官吏との間を取り持ったりもしたが、最終的には王莽に忌まれ、自殺に追い込まれている。

 その公平さを慕われたふたり。



趙倫鶹怪ちょうりんりゅうかい 梁孝牛禍りょうこうぎゅうか

 西晋は司馬懿しばいの末子、司馬倫しばりん。かれは八王はちおうの乱に際し恵帝けいてい司馬衷しばちゅうより簒奪、皇帝を自称するも間もなく破滅する。破滅の前日、謎の怪鳥が司馬倫の前に姿を現していたという。

 前漢は呉楚七国ごそしちこくの乱平定に関与したりょう孝王こうおう劉武りゅうぶ。かれはもと景帝けいていの後継者であったが、やがてその地位を弟の武帝ぶていに奪われた。梁の地に帰って鬱々としていたところ、足が肩より上に出ている牛、つまり上下の順があべこべになっている生き物の献上を受けた。劉武はこれに怒り、憤死したという。

 破滅した王のもとにもたらされた動物の凶兆。

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