03-07-12 漢十 孫権 1 赤壁

 反董卓とうたくの戦いで大功を上げるも戦で散ったそんけんの子、そんけん。はじめ兄の孫策そんさくが父のあとを継ぐも、その兄もまた江南こうなんの地を手中に収めんと戦った末、死亡。兄より守勢の才を見込まれ立った孫権そんけんの、はじめの大仕事は南進する曹操そうそうを撃退することだった。


 曹操は荊州けいしゅうに逃げた劉備りゅうびをを追討した余勢を駆り、江南にまで軍を動かそうとする。劉備は諸葛亮しょかつりょうの助言を受け、孫権に同盟を提案。使者としてやってきた諸葛亮の言葉に、孫権は大いに喜んだ。そこに曹操よりの書状が届く。内容は以下の通りだ。

「いま、水軍八十万の配備を終えた。将軍とはにて会い、ともに猟に勤しみたいものだ」

 孫権が配下らに書状を示すと、顔面蒼白にならないものはいなかった。「張昭ちょうしょう」に至っては曹操を主として迎え入れるべきである、とまで主張する。

 そこに待ったをかけたのが「魯肅ろしゅく」である。魯粛は孫権に周瑜を召喚すべく説いた。周瑜は到着するなり、言う。

「どうか私に数万の精兵を与え、夏口かこうに進軍させてください。必ずや孫将軍のために曹操を破ってみせましょう」

 これを聞いた孫権は刀を抜き、曹操からもたらされた書状を机もろとも叩き切った。そして言う。

「諸君らのうち、なおも曹操に降らんという者があったならば、この机と同じことになると思え」


 こうして周瑜に三万人が与えられ、劉備とともに曹操に立ち向かうこととなった。両軍は赤壁せきへきにて遭遇。周瑜に「黄蓋こうがい」が言う。

「曹操軍の船艦は船首船尾をずらりと連ねている。ひとたび焼き払ってしまえば、追い払うことが可能でしょう」

 周瑜は中型船小型船十艘に油を染み込ませた枯れ草を搭載し、陣幕で覆い、上に旗を立てた。ほかに小回りの効く小舟をいくつかつけ、その上で「黄蓋が投降する」と偽りの書を送り付けた。

 このとき東南の風が強く、黄蓋は十艘の船団の最前に立つ。長江の中ほどで帆を張り、他の船を引き連れて進む。曹操軍は黄蓋を指差し「これは降伏しに来たに違いない」と語る。

 しかしその距離八百メートルほどになったところで、着火。

 盛大に燃え上がった船たちは風に乗って、矢のごとく進む。たちまち火は曹操軍の船に燃え移り、焼き尽くした。炎と煙は天を覆い、人や馬は焼け、あるいは溺れ、多くのものが死んだ。

 周瑜らは進軍の太鼓を打ち鳴らし、軽装の兵士たちに襲撃させ、曹操軍を壊滅させた。曹操自身もほうほうの体で逃げ落ちた。


 その後しばしば曹操は孫権に攻撃を仕掛けたが、結局攻め落とせなかった。だので曹操は嘆息し、言う。

「孫権のような子が欲しかったものだがな! わしにすり寄った劉表りゅうひょうの子なぞ、豚か犬かでしかないではないか!」



蒙求もうぎゅう

馮衍歸里ふうえんきり 張昭塞門ちょうしょうさいもん

馮衍(後漢)&張昭(三國志)

 漢の更始帝こうしていに仕えた馮衍は光武帝こうぶていに最後まで抵抗するも、更始帝死後光武帝に仕えた。とは言え光武帝からはまるで重んじられず、故郷に帰還した。

 三国呉の重鎮、張昭。孫権そんけんの重要な相談役だったが、北方の自立勢力からの称藩を孫権が受け入れてしまったため、それに猛反対していた張昭、怒って自宅に引きこもった。ちなみに孫権はその門を焼くことで張昭を自宅から引きずり出した。

 意見が通らなかったことを理由に引きこもった二人。

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