03-07-11 漢十 劉備 2

 曹操そうそう劉表りゅうひょうを攻撃すると、間もなく劉表は病死する。子の「劉琮りゅうそう」は荊州を手土産として曹操に降伏した。

 劉備りゅうび江陵こうりょうに逃れようとすると、曹操は追撃をかける。劉備が夏口かこうに逃れたところで、曹操は軍を江陵に進め占拠、更に長江ちょうこう下流に向かっての進軍を志した。


 諸葛亮しょかつりょうが劉備に言う。

孫権そんけん将軍に助けを請いましょう」

 そして諸葛亮が孫権のもとに出向いて説得、劉備とともに曹操に立ち向わせることに成功する。両軍は赤壁せきへきにて遭遇。火計が成功し、曹操軍を完膚なきまでに打ち破った。


 劉備は赤壁直後のドタバタの隙を突き、荊州南部を占拠した。この事件により劉備と孫権との間に緊張感が走る。しかし、このとき「劉備を抑え込むべき」と主張する周瑜しゅうゆが死亡、親劉備派である「魯粛ろしゅく」がそのあとを継ぐ。その魯粛が孫権に、荊州を劉備に貸し与えたままとすべきだと勧める。孫権はそれに従った。


 龐士元ほうしげんは名を「龐統ほうとう」という。「龐徳公ほうとくこう」の甥である。龐徳公はすでに名が広く知られていたから、諸葛亮は龐徳公の家に訪問するごと、土間にて龐徳公に拝礼をした。

 劉備がはじめ龐統を採用したとき耒陽かよう令に任じたのだが、まるで統治が行き渡らない。そこに魯肅が手紙をよこして言う。

「龐統殿には百里四方程度を治めるせせこましい才なぞございませぬ。治中別駕にでもつけてごらんなさい、麒麟きりんが駆け巡るとはこういう事を言うのだ、と得心なさることでしょう」

 そこで劉備が龐統を魯粛の言った通りの官位につけると、さっそく「益州えきしゅうを獲得すべきです」と提言してくる。劉備は関羽かんうに荊州の留守を任せ、兵を率いて長江を遡りを経てしょくに入る。そして「劉璋りゅうしょう」を襲撃の上成都せいと入りした。



蒙求もうぎゅう

龐統展驥ほうとうてんき 仇覽栖鷹きゅうらんせいおう

 三國志、劉備りゅうびの配下となった龐統ほうとうは抜群の才覚持ちであったが、地方官吏の地位にてうまく治績を上げられずにいた。そこでまわりのものは劉備に龐統が活躍する場を与えるべく進言、「麒麟に村は狭すぎます」と説いた。

 後漢桓帝かんてい頃の能吏、仇覧。罪を犯した者に倫理を説き改心させる。やがて厳格な統治を好む地方長官の下で「もっと厳しくすべきではなかったのか」と問い詰められたが「どんなに罪人がハヤブサを恐れたところで、鳳凰の前に立てば鳳凰になつくでしょう」と、ハヤブサたちの前で徳治を言い切った。

 ふたりの名統治官には狭すぎるステージなんだ。

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