03-07-13 漢十 孫権 2

 劉備りゅうび赤壁せきへき後のドタバタの隙を突き、荊州けいしゅう南部を占拠。

 周瑜しゅうゆ孫権そんけんに言う。

「劉備は、まさしく梟雄であります! しかも関羽かんう張飛ちょうひといった虎よ熊よといった将もそばにおります。この三人をひとところに固めておくのなぞ、龍に雲や雨を与えるに等しきこと。じっと池の中にとどまったままでなどおりますまい! 劉備めをひとり呉に引き込むべきです!」

 孫権はこの提言を却下した。


 周瑜は曹操に対して反攻の軍を発するべきだ、と提議したが、病にあい、死亡した。周瑜のかわりに魯粛ろしゅくの軍を率いることとなった。その魯粛が孫権に、荊州を劉備に貸し与えたままとすべきだと勧める。孫権は従った。


 孫権の配下将のひとり「呂蒙りょもう」は、はじめ無学であった。そこに孫権が読書を勧める。その後魯粛が呂蒙と議論した。魯粛は大いに驚いて言う。

「そなた、ほんとうにあの呉の町の蒙坊なのか!?」

 呂蒙は答える。

「士と三日別れたら、まさに刮目して向き合え、ってやつですよ」



 劉備が益州えきしゅうを獲得したと知ると、孫権は劉備に荊州を返還するよう要求した。劉備がこの要求を拒絶し、劉備と孫権の同盟は決裂した。荊州は両名によって引き裂かれた。

 劉備は更に漢中かんちゅうを獲得。曹操そうそうに対する攻勢を強めていたが、その曹操が、今度は孫権と手を組むことになった。


 このころ魯粛が死に、呂蒙がそのあとを継ぎ、孫権に対して関羽を討つべく勧めていた。そこで曹操が樊城に援軍を送って関羽の正面を釘付けしたのを見計らい、「陸遜りくそん」にもまた関羽を攻撃させた。関羽は狼狽して逃げようとしたが、孫権軍がついに関羽を捕らえ、斬った。こうして荊州が孫権の手に収まった。


 劉備は皇帝自称後、関羽が殺されたことを恥じ、自らその敵討ちのために出陣した。孫権は和睦を求めたが、聞き入れない。そこで孫権は魏に臣従する旨の使者を送った。魏もまた孫堅を呉王に任じた。


 曹丕そうひが呉の使者「趙咨ちょうし」と対話する。

「呉王の学識はいかなるものか?」

「呉王は賢人を任じ有能なものを活用、そのお志は国家運営に向かっておられます。少しでも暇があれば典籍史書を紐解かれ、書生にありがちな片言隻句への拘泥などもなされません」

「呉は魏を難物と思っているかね?」

「百万の精兵が長江ちょうこう漢水かんすいを庭としております。どうして難物とみなしましょう」

「呉の士大夫はいかほどか?」

「特に際立ったものでも八、九十人はおります。臣のごとき者なぞ、車に積みきれないほどに転がっております」


 この会合にて孫権は曹丕に人質を送ると約束していたのだが、劉備の独力撃退に成功すると、送るのを取りやめる。曹丕は怒り呉との同盟を破棄した。

 孫権は黄武と改元、長江を天然の堀として魏軍に対抗した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る