03巻A 後漢

03-01 光武帝 劉秀

03-01-01 漢六 光武帝劉秀 1

 光武帝、名は劉秀りゅうしゅう。字は文叔ぶんしゅく景帝けいていの息子「劉発りゅうはつ」の子孫だ。劉発の息子が「劉買りゅうばい」で、その末子が「劉外りゅうがい」、その子が「劉回りゅうかい」、その子が「劉欽りゅうきん」。劉秀はその三男である。


 南頓なんとんで劉秀が生まれたとき、ひとつの稲から九本の穂が生えるという吉兆が発生した。そこで秀という名が付けられた。またこのとき、遠方にいた占者が春陵しゅんりょうのほうに瑞雲がたちのぼった、と語っている。

 王莽おうもうは貨幣を貨泉と呼ばせていたが、人びとは泉の字を上下に分け、貨幣を白水真人と呼んでいた。これはのちに劉秀は白水にて決起したことにも通じている。

 劉秀は鼻がきわめて高く、額の中央の骨が日輪のように隆起していた。尚書を学べばすぐさまそのおおよその意味合いを了解した。占術を得意とする「蔡少公さいしょうこう」のもとに訪問をすれば、「劉秀というものが天子になるであろう」と語る。このとき王莽の臣下にも劉秀という人物がいたため、あるひとがそちらのことなのではないか、と劉秀の前でうそぶく。すると劉秀は「おいおい、なんでぼくじゃないんだと言えるんだい?」とからかった。


 17 年に新市しんし平林へいりんの兵が立つと、南陽もにわかに慌ただしくなってきた。「李通りつう」が劉秀を決起に誘いにくる。

 劉秀の兄「劉縯りゅうえん」、字伯升はくしょうは世の動乱を嘆き、動乱を平定せんとの気概に満ち、王莽より社稷の奪還をなさんと意欲に燃えていた。普段は家業も手伝わず、財産を投げ出しては天下の豪傑たちと交流をなしていた。そして李通よりの誘いを受け、四方の豪傑たちに兵を集めさせ、劉縯自身も春陵の若者たちに発破をかける。しかしみな恐れて逃げ隠れ「劉縯に殺されてしまう」とすら言い出すものもあった。しかし劉縯の隣に軍装した劉秀の姿を見ると「あんな温厚で慎ましい方まで打って出られるのか」と、みなが安堵し、付き従った。

 こうして集まった兵力が各将軍に配置される。また外部勢力の糾合も進め、新市・平林・下江かこうの兵がみな参加に下った。しかしあまりの大所帯となったため、リーダーを決めるべき、という話になる。「王常おうじょう」は劉縯を推薦したが、他のものは劉縯では圧が強すぎると言うことで劉玄りゅうげん、すなわち後の更始帝こうしていを推薦。劉縯を大司徒とした。劉秀はこのときいち将軍である。

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