04-01-08 東晋 王敦

 元帝げんてい江南こうなんの地にたどり着いて間もなくのころ、王導おうどうとともに元帝の補佐に当たっていた、王敦おうとん


 王敦ははじめ揚州刺史ようしゅうしし都督ととく征討諸軍せいとうしょぐんに任じられ、そこから鎭東ちんとう大將軍だいしょうぐん都督ととく江揚こうよう荊湘けいしょう交廣こうこう六州諸軍事ろくしゅうしょぐんじ江州刺史こうしゅうししに昇進となり、さらに荊州けいしゅうもあわせて統治することになった。このため自らの功績に溺れ好き放題をするようになり、元帝は恐れ、憎むようになった。

 そこで元帝は「劉隗りゅうかい」や「刁協ちょうきょう」を腹心として引き入れ、少しでも王氏の権勢を抑え込もうと考えた。これにより王導もまた徐々に疎外されるようになった。


 王敦の幹部のひとり「銭鳳せんほう」らは邪悪な上ずる賢く、王敦に謀反の意図ありと気付くと、密かにその計画を編み、ついに武昌ぶしょうにて決起させたのである。その名目は劉隗や刁協の誅殺であった。


 王敦は建康城けんこうじょうの目と鼻の先にある城、石頭城せきとうじょうに陣を構えた上、言う。

「もはやおれに臣下としての徳高き振る舞いなぞありえまいよ!」

 刁協や劉隗らは王導とは別に兵を動かしていたが、どちらも大敗。城に逃げ帰った。この事態を受け、元帝は百官を石頭に出向かせ、王敦に謝罪を申し出た。

 王敦は周顗しゅうぎらを殺害。そして元帝に謁見することなく兵を返し武昌に帰還した。


 間もなくして元帝は死亡。明帝めいていが立った。明帝が聡明であったためその不孝ぶりを喧伝し廃嫡謀議に追い込もうとしたが、失敗した。

 そこで王敦は簒奪を目論み、姑熟こじゅくに陣取ると、揚州牧ようしゅうぼくを自称した。しかし、間もなくして病を得た。


 自らの命運はどうなってしまうのか。王敦は「郭璞かくはく」に命じ、この先のことを占わせる。すると郭璞は言う。

「公がことを起こさば、禍はすぐやってまいりましょう」

 王敦は激怒し、言う。

「ならば、そなたの命運を占ってみよ!」

 郭璞は答える。

「今日のうちに命尽きましょうな」

 王敦は郭璞を殺した。


 ある夜中、明帝は壮士をつのり、王敦の兄である「王含おうがん」の軍を強襲、大破した。

 王敦は兄の敗報を聞くと、言う。

「あやつは老婆でしかないのか! ならば、もはや我が家門に機運が寄ることもあるまいよ!」

 そうして自ら兵を率い出向こうとしたが、病を篤くし、死んだ。


 乱平定後、その遺骸は暴かれ、斬罪に処された。



蒙求もうぎゅう

王敦傾室おうとんけいしつ 紀瞻出妓きせんしゅつぎ

 東晋初期に大きな存在感を示した、王敦。彼ははじめ多くの側妾を抱え込んでいたのだが、あるひとにそれを諫められたため、突然全員を屋敷から追い出した。

 東晋初期の名臣の一人、紀瞻の家にいる踊り子に、周顗がベタ惚れして連れ出そうとした。この振る舞いが罪に問われたと言うことなので、もしかしたら周顗によって連れ出されてしまったのかもしれない。ただ、周顗の才能が惜しいと言うことで、罪は不問となった。

 安定の女性の扱いの軽さ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る