04-01-08 東晋 王敦
王敦ははじめ
そこで元帝は「
王敦の幹部のひとり「
王敦は
「もはやおれに臣下としての徳高き振る舞いなぞありえまいよ!」
刁協や劉隗らは王導とは別に兵を動かしていたが、どちらも大敗。城に逃げ帰った。この事態を受け、元帝は百官を石頭に出向かせ、王敦に謝罪を申し出た。
王敦は
間もなくして元帝は死亡。
そこで王敦は簒奪を目論み、
自らの命運はどうなってしまうのか。王敦は「
「公がことを起こさば、禍はすぐやってまいりましょう」
王敦は激怒し、言う。
「ならば、そなたの命運を占ってみよ!」
郭璞は答える。
「今日のうちに命尽きましょうな」
王敦は郭璞を殺した。
ある夜中、明帝は壮士をつのり、王敦の兄である「
王敦は兄の敗報を聞くと、言う。
「あやつは老婆でしかないのか! ならば、もはや我が家門に機運が寄ることもあるまいよ!」
そうして自ら兵を率い出向こうとしたが、病を篤くし、死んだ。
乱平定後、その遺骸は暴かれ、斬罪に処された。
東晋初期に大きな存在感を示した、王敦。彼ははじめ多くの側妾を抱え込んでいたのだが、あるひとにそれを諫められたため、突然全員を屋敷から追い出した。
東晋初期の名臣の一人、紀瞻の家にいる踊り子に、周顗がベタ惚れして連れ出そうとした。この振る舞いが罪に問われたと言うことなので、もしかしたら周顗によって連れ出されてしまったのかもしれない。ただ、周顗の才能が惜しいと言うことで、罪は不問となった。
安定の女性の扱いの軽さ。
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