02-05-06 漢三 武帝劉徹 6

 五十四年の在位で、改元は十一回。建元けんげん元光げんこう元朔げんさく元狩げんしゅう元鼎げんてい元封げんふう太初たいしょ天漢てんかん太始たいし征和せいわ後元ごげんである。


 武帝ぶていは自身も才覚にあふれ、また文帝ぶんてい景帝けいてい以来の資源も豊富であった。それらに基づいて匈奴きょうどを退けたいと考え、実行した。また各地にしばしば軍を発し、国内では多くの宮殿を造営。方士の公孫卿こうそんけいの言葉に乗って神仙のすまいを作ったりもした。祭祀も多く執り行った。

 こうしてついに国庫を空にすると今度は爵位を売りに出したり、「桑弘羊そうこうよう」「孔僅こうきん」に国内の財貨を巻き上げるための政策を提唱させ、国内の活気を落とし、盗賊がはびこるようになった。武帝が末年に謝罪をせねば、しん末の争乱が再起されたであろう。


 はじめ丞相に田蚡でんふんをつけたがほぼ実権はなく、その後の公孫弘こうそんこう以後丞相の多くは誅殺され、公孫賀こうそんがなどは泣いて就任を拒否したほどである。しかし結局罪を得て殺された。


 張湯ちょうとう趙禹ちょうう杜周としゅう義縱ぎしょう王温舒おうおんじょと言った酷吏を用いたが、彼らに落ち度があれば、やはり彼らも処刑された。


 卜式ぼくしょく児寬げいかんは温厚な名士と言うことで重用されていた。

 汲黯きゅうあんは厳格な人物であったが、彼だけは武帝に憚られつつも重用されていた。



蒙求もうぎゅう

廣漢鉤距こうかんこうきょ 弘羊心計こうようしんけい

 前漢宣帝の時代の趙廣漢は首都の統治者として漢代一とすら言われるほどの人で、不正や犯罪を強力に取り締まった。特に鉤距、すなわち潜入調査が非常に得意であったという。っが、宣帝のお気に入りまで処罰してしまったため、ついには腰斬刑を受けた。

 桑弘羊は前漢武帝の時代、暗算術の巧みさでもって高位にたどり着いた。そして財政の逼迫を立て直すための苛烈な徴税策を次々と打ち立てた。昭帝の時代に謀反を起こし、処刑された。

 うーん、これは「そのすげースキルを活かしてひどいことをした」ふたりと言うことになるのかなあ。


張湯巧詆ちょうとうこうてい 杜周深刻としゅうしんこく

 ともに前漢武帝に仕えた酷吏。張湯はその文辞が異常に巧みであり、苛烈な裁きの数々は不公平そのものであったにせよ、結局は誰も論破できないまま多くの犠牲者を積み上げた。とは言え、やがて失着を起こし自殺した。

 杜周は、そんな張湯の弟子筋。武帝が陥れたいと思ったものは法を曲げてでも陥れ、掬い上げたいと思ったものは法を曲げてでも掬い上げた。桑弘羊と言った重臣、衛皇后の兄弟と言った貴人ですら構わずギッチギチに攻め挙げたため、武帝から仕事熱心だと褒められている。

 酷吏恐い酷吏恐い。


鼂錯峭直ちょうさくしょうちょく 趙禹廉倨ちょううれんきょ

 漢の景帝けいていに仕える鼂錯は実直有能であったが、融通が利かず、また酷薄な判断をしばしば下した。この性分が景帝の時代の宗族反乱・呉楚ごそ七国の乱を招いたとされ、腰斬された。

 趙禹は漢の武帝ぶていに仕え、官吏どうしの相互監視体制を確立させた。清廉潔白な仕事ぶりではあったが傲慢な人となりであり、親しい者はほぼおらず、ただ己の職務を全うし、死んだ。

 人当たりのヤバい二人の明暗。


義縱攻剽ぎしょうこうひょう 周陽暴虐しゅうようぼうぎゃく

 ともに前漢武帝に仕えた酷吏。義縱は群盗上がりの役人。その統治は苛烈の一言であり、ちょっと悪いことしたやつを見かければすぐ殺す、の勢いだった。偉い人でも構わず殺した。あまりにも行きすぎていたので武帝はどうにかして義縱を陥れようと企み、尻尾を掴んだ瞬間側処断した。

 周陽由は自分の好みで救済処罰の基準を定め、およそ法律を守ろうとしなかった。郡の役人となれば太守から実権を奪うし、太守となれば配下をいいようにこき使う。太守として任地に出向けば地元の豪族を殺し尽くす。最終的には河東郡の役人として赴任したときに太守から実権を奪おうと争い合い、殺された。

  酷吏恐い酷吏恐い。


汲黯開倉きゅうあんかいそう 馮驩折券ふうけんせっけん

 前漢武帝に仕えた直言の士、汲黯。かれは河内で火事が起こったときに武帝より視察を命じられたが、その地に貧民がたくさんいるのを知り、火事のことはシカトして、河内の倉庫を開放、貧民たちに施させた。それでそれを堂々と武帝に報告してのけた。だいたいがこんな感じで、武帝も存在をはばかりこそしたが、忠義の士であることは疑いようもなかったため処罰することはなかった。

 戦国時代の斉のひと、馮驩。孟嘗君に仕えたが、その振る舞いはまるでヒモのよう。孟嘗君はあきれていたが、しかしその弁才は確かだったので養い続けた。あるとき馮驩にせつの民の借金を返済させる役目を任じた。馮驩が薛に赴くと、みなひもじい暮らしで身動きもまともに取れない状態だった。なので馮驩、民たちの前で証文を焼いてしまう。孟嘗君は激怒したが、結局はこのために薛公として受け入れられ、身を全うした。

 君命よりも貧民。主人もぐぬぬと認めざるを得ないふたり。





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