04-03-04 晋四 桓温 2

 えんでは慕容儁ぼようしゅんが立ち、ちょうでは冉閔ぜんびんによる簒奪がなされた。りょうでは張重華ちょうじゅうか涼王りょうおうを自称していた。また苻健ふけん秦帝しんていを自称した。

 こうした流れの中、殷浩いんこうは趙より亡命してきた姚襄ようじょうと対立。戦った上敗れた。


 桓温かんおんは殷浩が敗れ、地位剥奪の上庶人しょじんに落とされたことを知る。

 朝廷ははじめ殷浩を桓温の対抗馬としてあてがうつもりでいた。しかし殷浩が廃され、大権は一気に桓温の元に集まることとなった。


 ややあって桓温の参謀である「郗超ちちょう」が桓温に、殷浩を尚書僕射につけるべく勧めた。桓温もそれを受け入れ、手紙にてその意向を伝える。殷浩は喜びこそしたが、返書に誤りがあってはいけないと思い、十数度ほど書面を取り出しては確認し、ついには中身の入っていない書を送ってしまった。桓温は怒り、殷浩との関係を断った。殷浩はそのまま蟄居先で死んだ。


 桓温は兵を率い長安ちょうあんに向け進軍。苻健は迎撃の軍を発したが大敗、藍田らんでん灞上はじょうを抜かれ、遂に長安城にまで迫られてしまう。苻健は長安小城に籠もり、守りを固めた。長安周辺の人々はみな桓温のもとに投降。桓温もまた保護を約束したので、人々は安堵した。加えて酒や食べ物を持ち寄ってその軍役を労い、沿道には東晋軍の進軍をひと目見んとするものたちがずらりと並んだ。老人たちの中には歓喜の涙を流すものも居た。


「よもや、陛下の軍に再び見えること叶うとは!」



蒙求もうぎゅう

郗超髯參ちちょうぜんさん 王珣短簿おうしゅんたんぼ

郗超(世説)&王珣(世説)

 東晋の名将桓温にはふたりの名幹部がいた。豊かな髭を蓄えた郗超、おちびの王珣である。ふたりは桓温をよく笑わせ、よく怒らせたという。

 桓温を大いに支えたふたり。

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