02-06-12 漢四 宣帝劉詢 終
この頃
宣帝の二十五年にわたる在位期間中の改元は七回。
民間で生まれ育った宣帝は民の苦しみをよく理解していた。それゆえ統治に精励し、政事の要点を押さえるのに周到緊密。刺史や太守、相を任命するに当たっては自ら接見し、彼らの言葉に耳を傾けていた。またこう言っていた。
「民がそれぞれの村で健やかに暮らせ、嘆きも怨嗟もあがらないのであれば、すなわちその地が公平に治められている、と言うことだ。余とともにこの状態を実現できる者は、よき刺史や郡守にしかなしえまい。郡守の存在は官吏民衆の暮らしの根本であり、これをおいそれと交代させるわけにも行かぬ。だので彼らに功績があれば褒賞を下して奨励せねばならぬ」
中央の大臣に欠員が出た場合には、こうした地方統治で功績を出した者から抜擢した。漢の時代でもっとも能吏を輩出したのは、この宣帝の時代である。
宣帝は信賞必罰を徹底した上、名実の一致を心掛けた。このため大臣も学者も官吏もみなその才能の限りを尽くして働き、民も安心して家業に精を出すことができた。
またこのとき匈奴の統率にも乱れが出たため、統治の緩い部については制圧、なおも栄える部とは手を組んだ。このため漢の威光が匈奴にまでおよび、ついには呼韓邪単于の称藩を実現させもした。
宣帝の功績は先祖をも照らしだし、子孫にも及ぶものである。まさしく
宣帝のあとは、太子が継いだ。のちの「
後漢で司隷校尉にまで至った
前漢の張安世もやはり博覧強記のひとであった。武帝の時代に、三箱分の書物が遺失する事件が発生。その内容を把握できている者などいないだろうと思っていたところ、何と張安世が三箱分の書物をすべて暗記していたため、再現が叶った、と言うのだ。
化け物じみた読み手二人。
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