02-06-12 漢四 宣帝劉詢 終

 この頃匈奴きょうどで内乱が起きており、五人の単于が並立していた。そのうちの一人「呼韓邪こかんや単于」が臣属を願い出てきた。前 51 年に来朝、上客として歓待を受けた。その地位は諸王諸侯の上に位置づけられた。

 宣帝せんていは匈奴の降伏を股肱の重臣らの徳ゆえであると讃えた。そこで各臣下の肖像および名前を麒麟閣きりんかくに飾った。ただ霍光かくこうについては姓名ではなく「大司馬、大将軍、博陸はくりく侯、姓霍氏」と書かれた。つまり臣下としても一段高い扱いを受けているわけである。以降張安世ちょうあんせい韓増かんぞう趙充国ちょうじゅうこく魏相ぎしょう丙吉へいきつ杜延年とえんねん劉徳りゅうとく梁丘賀りょうきゅうが蕭望之しょうぼうし蘇武そぶといった十一人の名が並んだ。みな功徳あるものとして著名であった。


 宣帝の二十五年にわたる在位期間中の改元は七回。本始ほんし地節ちせつ元康げんこう神爵しんしゃく五鳳ごほう甘露かんろ黄龍こうりゅうであった。死亡すると杜陵とりょうに葬られた。

 民間で生まれ育った宣帝は民の苦しみをよく理解していた。それゆえ統治に精励し、政事の要点を押さえるのに周到緊密。刺史や太守、相を任命するに当たっては自ら接見し、彼らの言葉に耳を傾けていた。またこう言っていた。

「民がそれぞれの村で健やかに暮らせ、嘆きも怨嗟もあがらないのであれば、すなわちその地が公平に治められている、と言うことだ。余とともにこの状態を実現できる者は、よき刺史や郡守にしかなしえまい。郡守の存在は官吏民衆の暮らしの根本であり、これをおいそれと交代させるわけにも行かぬ。だので彼らに功績があれば褒賞を下して奨励せねばならぬ」

 中央の大臣に欠員が出た場合には、こうした地方統治で功績を出した者から抜擢した。漢の時代でもっとも能吏を輩出したのは、この宣帝の時代である。

 宣帝は信賞必罰を徹底した上、名実の一致を心掛けた。このため大臣も学者も官吏もみなその才能の限りを尽くして働き、民も安心して家業に精を出すことができた。

 またこのとき匈奴の統率にも乱れが出たため、統治の緩い部については制圧、なおも栄える部とは手を組んだ。このため漢の威光が匈奴にまでおよび、ついには呼韓邪単于の称藩を実現させもした。

 宣帝の功績は先祖をも照らしだし、子孫にも及ぶものである。まさしくいん高宗こうそうしゅう宣王せんおうにすら比される存在と言えよう。


 宣帝のあとは、太子が継いだ。のちの「元帝げんてい」だ。



蒙求もうぎゅう

應奉五行おうほうごぎょう 安世三篋あんせいさんきょう

 後漢で司隷校尉にまで至った応奉おうほうは博覧強記のひとであった。何か書物を読むときには五行同時に読み下し、しかもそれで遺漏がなかったという。

 前漢の張安世もやはり博覧強記のひとであった。武帝の時代に、三箱分の書物が遺失する事件が発生。その内容を把握できている者などいないだろうと思っていたところ、何と張安世が三箱分の書物をすべて暗記していたため、再現が叶った、と言うのだ。

 化け物じみた読み手二人。

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