03-03-02 漢七 章帝劉烜 下
88 年、
朝廷にて地方よりの人材登用についての議論がなされたとき、「
「国の政治はまず賢人を抜擢するところから始まる。その賢人の中でも孝行者を特に首席に置くべきである」
章帝もこの発言を受け入れた。
「過去に喜んでいたのは、親のために自らの節度を曲げていたのか」
この評判を聞いた章帝は、毛義に手厚い褒賞を下した。
章帝の時代にも地方長官には人材がいた。蜀郡を治めていた「
「廉范様はどうしてなかなか我が郡に起こしくださらなんだ、殿のおかげでわしらは仕事にいそしめる、襦袢一枚しか持てなんだわしらが、いまでは五枚の衣装持ち」
と歌われた。
政府もまた税を軽くして、地方の名主たちも温厚な統治を行った。章帝の治世中、民らはその恩恵を被ったのである。太子が立った。「
毛義は後漢の人。孝行者で知られ、顕職に推挙され喜びを顔に浮かべたが、それは親の暮らしのためだった。親が死ぬと即辞職した。
親のために全力を尽くす、ふたりの孝行者が並べ讃えられている。
劉寵(後漢)&廉范(東観漢記)
後漢末期、
後漢
民を繁栄させた名地方官。
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