02-09-03 蒙求 中1

谷永筆札こくえいひつさつ 顧愷丹青こがいたんせい

谷永(前漢)&顧愷之(世説)

 前漢成帝の時代に仕えた諫言のひと。その天文分析、災害分析は他者の追随を許さなかったという。ただし時の権勢者である王莽にすり寄った。

 東晋後期の画家、顧愷之。博学にしてユーモアのある言い回しにて人気を博した。中でもその絵画は絶品とされた。ただし時の権勢者である桓玄にすり寄った。

 抜群のスキル持ちも、しかし権勢には弱いのだ。


鄧通銅山とうつうどうさん 郭況金穴かくきょうきんけつ

鄧通(前漢)&郭況(後漢)

 無能ものだが前漢の文帝よりの寵愛ゆえに厚遇されていた、鄧通。占いによると「最終的には貧困の中で死ぬ」と言われたため文帝は鄧通に銅山を与えた。のだが、文帝死後横領の罪を疑われて財産を没収され、他人の家で死んだ。

 後漢光武帝の妃、郭聖通。その兄である郭況には多くの財産が下賜され、そのため豪勢な暮らしをするようになった。その豪華な暮らしぶりは「金穴」と呼ばれたそうである。

 え、どうしてこのひとにたくさんの財産が与えられてんの?


馮媛當熊ふうえんとうゆう 班女辭輦はんじょじれん

 前漢元帝げんていの側室ふう氏は平帝へいていの祖母に当たる。あるとき熊と虎を戦わせる催しがあったとき、熊が逃げ出した! みなが慌てふためいて逃げようとするところ、馮氏、平然と熊の前に立つ。「熊は一人食べれば満足します、陛下を食べさせることに比べればマシでしょう」と。結局馮氏も助かったのだが、これによって元帝は馮氏を更に重んじるようになった。

 前漢成帝せいていの側室班氏はんしは、成帝の外出に当たり車にて隣に座るよう命じられた。しかし班氏はそれを辞退。「聖王の隣には名臣が座るもの。しかるに昏王は美姫を隣に座らせます」と。この受け答えに成王は感じ入り、褒美を下した。ちなみに彼女はのちに、当時の猛獣趙皇后、こと趙飛燕ちょうひえんからの誣告も突っぱねている。

 皇帝のそばにあって、その側室としての気概を示しきった二人。


韋賢滿籯いけんまんえい 夏侯拾芥かこうしゅうかい

 前漢の韋賢いけんは儒学をよく修め、宣帝せんていの時代に丞相となったが、老齢を理由に引退した。そして韋賢よりよく学んだ末子の韋玄成いげんせいもまた元帝の時代に丞相となった。このことから「子にはかごいっぱいの金子よりも経学を教えた方がよい」と魯のことわざに言われるようになった。

 同じく前漢の夏侯勝かこうしょうは宣帝の頃太子大夫となり、九十才で死亡した。彼は弟子たちに「学問をしっかりと修めれば栄達なぞゴミを拾うように容易い」と語っていた、という。

 学問を究めることで栄達した二人。

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