04-04 孝武帝司馬曜

04-04-01 晋四 孝武司馬曜 上

 孝武帝こうぶてい司馬昌明しばしょうめい。なぜか彼だけ字で呼ばれている。諱だと司馬曜しばようである。10 歲で即位した。

 即位後さっそく桓温かんおんが孝武帝のもとに押しかけようとしたが、謝安しゃあん王坦之おうたんしによって食い止められた。桓温は志果たせぬまま死んだ。


 りょうしんに降伏した。

 代王だいおう拓跋什翼犍たくばつじゅうよくけんが息子に殺され、代が滅んだ。


 東晋とうしんでは前秦が強大化の一途を辿っていることを憂慮していた。そこで孝武帝は詔勅を下し、前秦の南侵を食い止められる良将を求めた。その求めに応じたのが「謝玄しゃげん」、謝安の甥である。

 謝玄は広陵こうりょうに駐屯すると、その地で劉牢之りゅうろうしらを幹部として獲得した。全戦全勝、北府兵ほくふへいと呼ばれ、敵対する者たちから恐れ憚られた。


 前秦は兵を分け、各地から東晋の攻撃にかかり、諸郡を陥落させた。中でも襄陽じょうようでは守将の「朱序しゅじょ」を捕らえ帰還した。


 その後苻堅は周囲の反対を押し切り、歩兵工兵六十万あまり、騎兵二十七万を率い、南下を開始する。

 対する東晋軍は謝安の弟である「謝石しゃせき」を総大将とし、謝玄にはその前鋒軍を率いさせた。率いる兵力は八万ほどである。しかし、この戦いに東晋軍は完勝。史上、淝水ひすいの戦いと呼ばれる。


 慕容垂ぼようすい河內かだいで決起、燕王えんおうを自称。

 姚萇ようちょう北地ほくちにて決起、秦王を自称。

 苻堅は慕容暐ぼよういの弟に当たる「慕容沖ぼようちゅう」に攻め立てられ逃亡、姚萇に捕まり、殺された。


 東晋でも、謝安が死亡した。

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