03-12-04 蒙求 西晋分 中
竹林七賢阮咸のいとこ、阮脩。彼は非常に大雑把な性格で、杖の先に百銭をぶら下げてあちこちを散策しては酒を飲み、のびのびと酔っ払った。
西晋末期を生き延びた畢卓は役人でありながら酒屋の蔵に忍び込み、酒を盗み飲みしてそこで寝込んでしまった。それで捕まるもまったく悪びれず宴会をそこでひらいた。
自由気ままな酒飲みたち。
温嶠(晋)&王済(晋)
東晋初期を大いに支えた名臣、温嶠。かれは親戚の娘がかわいかったので、北方で獲得した豪華な玉台を結納の品として差し出した。
西晋末期の名士王済は凄まじい金持ちで、馬を飼う牧場の柵を金銭で作っていたという。
財産をそこにぶっこむの!?
阮簡(世説)&袁耽(晋)
竹林七賢阮籍の息子、阮簡。彼もまたおおらかで細かいことにはこだわらない人物だった。
東晋前半の名士、袁耽。何事につけてもうまくこなす彼は、中でも博打を得意としていた。博打の負けが込んだ桓温の代わりに樗蒲を打ち、あっさり大勝するというエピソードも残る。ちなみにそのとき袁耽は喪中だった。
細けえことは気にすんな!
翟湯(晋)&許詢(世説)
適当は西晋末に名を馳せた隠者。その志高き振る舞いは、宮仕えを決して良しとせず、さりとて周辺の盗賊たちもその徳高さを知るあまり手を出せなかったと言う。
東晋中期の隠者、許詢。彼は宮仕えを好まず、山水を味わうことを好んだ。加えて自力でどのような険しい山をも踏破できるだけの身体能力を持ち合わせており、世の人々に驚かれていた。
隠者はしゅごい。
衛玠(晋)&楽広(晋)
西晋末~東晋におけるナンバーワンイケメンとして名高かった衛玠の外見は、みずみずしい宝玉のごときである、と評された。
西晋末の名士楽広は若い頃「彼の姿や心持ちはまるで水鏡のようだと讃えられていた。
そのみごとな容姿立ち振る舞いの二人。
張憑(晋)&裴頠(晋)
東晋中期の弁者、張憑。彼は家格が多いにものを言う東晋宮中に混じり込むと、そのみごとな弁で他者を唸らせ、ときの皇帝からは「そなたはまるで理屈のあなぐらのようだ」と称えられ、以後重用された。
西晋で賈南風政権を大いに支えた裴頠は論壇に長け、そのすさまじさのあまり「まるで林や藪から論が飛び出てくるかのようだ」と評された。……あんまり褒められてなくないこれ?
凄まじい弁者が、二人。
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