04-03-09 晋四 前秦

 後趙こうちょうから独立した蒲洪ほこう東晋とうしんへの一時帰属を経て三秦王さんしんおうを自称し、苻洪ふこうと改名した。

 これより以前、苻洪は趙将の「麻秋ましゅう」を捕らえたのだが、殺さずむしろその発言をよく取り入れた。しかしある宴の場にて麻秋によって毒殺された。

 苻洪の息子である「苻健ふけん」が麻秋を斬り、父の勢力を継承した。苻健は長安ちょうあん入りすると秦天王しんてんおうを名乗り、間もなく皇帝を自称した。


 しかし、そこに桓温かんおんよりの襲撃を受ける。長安ちょうあん城にまで追い込まれこそしたものの、白鹿原はくかげんにて戦い、なんとか撃退。

 桓温の襲撃後間もなくして、苻健が死んだ。その後を子の「苻生ふせい」が継いだ。

 しかし、間もなくして苻生は「苻堅ふけん」に殺された。


 主を殺した苻堅は秦天王を自称した。

 あるものが苻堅に王猛おうもうを推薦する。二人はひと目会うなり旧知であったかのような感覚を得た。のちに苻堅は「劉備りゅうび諸葛亮しょかつりょうと出会ったときであったかのようだ」と語った。

 王猛は苻堅に採用されるなり、一年のうちに五回もの昇進を果たし、異才を推挙し、虚職となっていた官位にも仕事を割り振り、農業桑業を推奨し、困窮者をよく救った。これらのことから前秦の国民は大いに喜んだ。


 枋頭ほうとうの戦いで活躍した名将である「慕容垂ぼようすい」が、前秦に亡命してきた。

 この事態を受け、王猛は諸将を率い燕の討伐に向かい、遂に燕の都であるぎょうを包囲した。苻堅もまた鄴入りし、ついには慕容暐ぼよういを捕縛。燕を滅ぼし、凱旋した。

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