04-03-10 晋四 殷浩・姚襄

 後趙こうしんから東晋とうしんに亡命した姚弋仲ようよくちゅうが死亡すると、率いていた勢力は息子の「姚襄ようじょう」が継承した。

 姚襄に詔勅が下り譙城しょうじょう駐屯が命じられ、のちに歴陽れきように移された。


 このとき寿春じゅしゅんにいた殷浩いんこう揚豫州ようよしゅう都督ととくとなっていたが、姚襄の勢力が盛んであることを警戒し、兵を発して姚襄を襲撃した。姚襄はこの兵を撃退、将軍を斬った。殷浩はさらに姚襄討伐の軍を動かした。


 元々東晋は中原の乱れに乗じて中原を奪還する気でおり、殷浩にその任務を与えたのだが、連年の北伐で功績を挙げることができずにいた。この後に及んで、今度は姚襄との「同士討ち」である。しかも姚襄は兵を伏して殷浩を迎え打ち、殷浩の軍が山桑さんそうに至ったところで強襲。

 殷浩は大敗、逃げ落ちた。のちに庶人に落とされ、蟄居。殷浩は怒り悲しみこそしたが、そうした思いを顔つきや言葉には出さず、ただ空間に向けて「咄咄怪事とつとつかいじ」の文字を描くのみであった。


 やがて桓温より救済人事の申し出を受け、喜んだが、文面を何度も確認している内手紙を入れずに便りの箱を送ってしまい、桓温の怒りを買い絶縁された。


 やがて、ひっそりと死んだ。


 姚襄はいちどえんに投降。許昌きょしょうに拠点を置き、洛陽らくようを攻撃したが、桓温かんおんによって跳ね返された。

 桓温は伊水いすいに進み、姚襄軍を立て続けに破る。

 このため姚襄は西方に脱出、関中を落とさんと目論んだが、前秦ぜんしん軍の迎撃にあい、戦死した。


 姚襄の弟「姚萇ようちょう」は、残された勢力を取りまとめ、前秦軍に投降した。

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