02-06-10 漢四 宣帝劉詢 7
前 54 年、太司農の「
前の光祿勳であった「
「我が振る舞いに過ち多く、このような事態に陥った。だので農夫として死にゆくのみよ。農夫は田畑作りに骨折り、そして年に二度ほどの休みの時に羊を食ったり、酒をかっくらって楽しむのだ。やがて酒が腹の中に回ってくれば、天を仰いでああ、と言い、そして詩をものするのだ。
田彼南山 蕪穢不治
種一頃豆 落而為萁
かの南山を耕した折、
わしは悪草の駆除に努めるも、
一向に悪草は減らぬ。
なんとか豆畑を設けてみても、
こぼれ落ち、豆ガラが残るのみ。
人生行楽耳 須富貴何時
淫荒無度 不知其不可也
人生なぞ、楽しんだものが勝ち。
富貴を求めて何になる。
どこまでも荒れ果てたこの世で、
なんぞ悪かろうことがあるものか。
この手紙は間もなく宣帝のもとに報告され、楊惲は驕り高ぶり、反省の気配がない、と言うことで収監大逆無道の罪として腰斬に処せられた。
前 53 年、
そのころ張敞は部下の「
以降長安では治安が乱れ、強盗の出現を示す警戒の太鼓が頻繁に叩かれるようになった。宣帝は張敞の才を惜しみ、最終的には復職させた。
前漢宣帝の時代、
東晋の名士、陳郡謝氏の始祖的位置にいる謝鯤。彼の特技は歌である。そんな彼が隣家の高氏の娘に迫ったところ下駄をぶつけられ、前歯を二本失った。周囲のものはそれを物笑いの種としたが、謝鯤は「けれども私の歌は健在だよ」と平然としていたという。
うーん、これは現代的観点から言うと男尊女卑の匂いがきついですねー。女にかしずいてなお平然といられるふたり、的ニュアンスですものね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます