03-01-22 巻七 光武帝劉秀 終

 光武帝こうぶていは高節の士を好んだ。あるとき隠者の「周党しゅうとう」を招いたが、参内こそしたものの平伏したままの体勢を取り、名前を名乗ろうともしなかった。あるものが不敬であると弾劾しようとしたが、光武帝は言う。

「古来より、明王聖王のもとには賓客として遇されることを良しとしないものもいたものさ」

 そして周党に絹を下賜し、帰宅させた。


 また隠者の「厳光げんこう」はかつて光武帝と机を並べた仲である。光武帝が天下を治めたとき、消息がつかめなかったので捜索させたところせいの地にいることが分かった。厳光は羊の皮を着て池に釣り竿をたらしていた。召喚に応じ光武帝のもとに参内はしたのだが、やはり光武帝に服従することを良しとしなかった。光武帝は旧友の来訪を労い、一晩同じベッドで寝た。厳光は光武帝の腹の上に足を乗せて眠った。

 翌朝、星見役が光武帝に言う。

「客星がやにわに御座の星を犯しておりました、何か緊急の襲撃事件が起こるのやも知れません」

 光武帝は言う。

「ぼくと厳光くんが一緒に寝ただけだ」

 厳光には諫議大夫の役職が用意されたのだが、やはり厳光は拒否、立ち去って畑仕事や釣りを楽しんだ。やがて富春ふしゅん山に潜り込み、死亡した。かんの世に清節の士が多かったのは、厳光の振る舞いによる。



 光武帝は天下が治まるよりも前から文治を志していた。治まると真っ先に太学を建て、古典を整え、儀礼や礼楽などを再整備した。晩年には明堂めいどう霊台れいだい辟雍へきようを建てた。結果諸制度が再び完備され、文物は後の世にまで引き継がれた。


 朝早くに起きて政務に携わり、日が暮れると退出、その後は公卿や郞、将とともに政治にまつわるもろもろごとを議論、夜も更けてからようやく床についた。

 あるとき皇太子が光武帝に諫めた。

「陛下にはとうのごとき明察がございます。だのになぜ黄老のごとく己をよくいたわられないのですか」

 光武帝は答える。

「趣味なんだから疲れることもないのさ」


 在位三十三年、天下太平のために力を尽くした。改元は二回、建武けんぶ建武中元けんぶちゅうげんである。享年六十二。太子が立った。「明帝」である。



蒙求もうぎゅう

伯成辭耕はくせいじこう 嚴陵去釣げんりょうきょちょう

 ぎょうの時代に伯成は諸侯となった。やがて王の座がしゅんを経てに引き継がれた頃、諸侯の座を辞し、晴耕雨読の生活を送るようにした。

 厳光は光武帝の幼なじみ。マブダチ、とすら言っていい。しかし光武帝が天下の主となると彼の元を辞去し、日々釣りを楽しむ生活を送った。

 天子に近い立場におりながらにして栄達を嫌い、世を遁じた隠者ふたり。

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