03-02 明帝劉荘
03-02-01 漢七 明帝劉荘 1
母は
「仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」
のちに実際に陰麗華を側妾に迎え、明帝を産んだ。
明帝は幼い頃から聡明で、光武帝が各州郡の耕地面積や人口を調査させたとき、
「報告書を持ってきた者は、あくまで郡主の使いに過ぎません。これは郡主が耕地面積を公平に比較してもらいたい、という意向の表れでしょう。何せ
それを聞いた光武帝が改めて報告書を持ってきた者に問うと、皇子の仰る通りです、と語る。光武帝はこの一件で明帝の才覚に感じ入り、
59 年、明帝は太学に足を運び、養老礼を行った。三公や九卿のうちもっとも高齢の者を特別な地位、三老や五更に就け敬う儀礼である。三老には「
儀礼終了後、桓栄やその弟子たちを伴って講堂に入り、儒者たちとともに経典を手にし、疑問点や難解な問題についての議論を交わさせる。この様子をひと目見んと、講堂の周囲は冠帶搢紳、すなわち政争をした者で溢れかえり、その数は数え切れないほどであった。
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