03-02-02 漢七 明帝劉荘 2

 60 年、光武帝こうぶていの漢中興の事業を補佐した功臣二十八将を南宮なんぐう雲台うんだいに描かせ、それぞれを二十八宿に対応させた。鄧禹とううが筆頭で、以下、「馬成ばせい」、呉漢ごかん、「王梁おうりょう」、賈復かふく、「陳俊ちんしゅん」、耿弇こうえん杜茂とも寇恂こうじゅん、「傅俊ふしゅん」、岑彭しんほう、「堅鐔けんたん」、馮異ふうい、「王覇おうは」、「朱祐しゅゆう」、任光じんこう祭遵さいじゅん、「李忠りちゅう」、「景丹けいたん」、「万脩ばんしゅう」、「蓋延がいえん」、邳肜ひとう、「銚期ちょうき」、「劉植りゅうしょく」、耿純こうじゅん臧宮ぞうきゅう馬武ばぶ、「劉隆りゅうりゅう」が並んだ。ただし馬援ばえんは明帝皇后の父親であったため、二十八将には数えられなかった。


 69 年、明帝の弟である劉蒼りゅうそうが来朝した。劉蒼は明帝が即位して間もなく驃騎将軍に任じられ、五年後に封爵国である東平とうへいに出向いた。そうして久々に洛陽に戻ってきたのである。明帝が問う。

「向こうでは何が楽しかった?」

 劉蒼は答える。

「善きことを為すのがもっとも楽しいです」



蒙求もうぎゅう


馬后大練ばこうだいれん 孟光荆釵もうこうけいさい

明帝馬皇后(後漢)&孟光(後漢)

 後漢明帝めいていの皇后、馬氏。馬援ばえんの娘である。彼女はもともと皇后ではなかったのだが、別の妃が産んだ子、のちの章帝しょうていを見事に育て上げて皇太子にふさわしい存在とし、その功績から皇后に選ばれた。

 後漢の士人梁鴻りょうこうの妻、孟光。彼女は色黒で力持ちだった。嫁ぐに際してがんばって着飾ったが梁鴻は相手にしない。理由を聞けばともに隠遁する相手を探しているからだ、と言う。そこで孟光、いばらかんざしを刺し、質素ないでたちで改めて梁鴻のもとに。梁鴻は喜び、ともに山の中に消えていった。

 夫のために頑張った二人……としていいの、これ?


東平爲善とうへいいぜん 司馬稱好しばしょうこう

 後漢明帝の弟、東平王劉蒼は兄より格段の寵遇を受けていた。封爵地での生活ののち明帝の元に戻ると、明帝より「何が一番楽しかったか?」と聞かれる。すると劉蒼は「善きことをしているのがもっとも楽しかったです」と応えた。

 後漢末期の人物鑑定人、司馬徽しばき。彼は人の欠点をあげつらわず、そしてありとあらゆる現象に対して不平も持たず、すべてに対して「好し」とばかり応えたという。

 善きことをし、好いと言う。繋がっていると言えば繋がっているような、いないような?

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