03-02-03 漢七 明帝劉荘 3

 74 年、西域に西域都護と戊己校尉を再設置した。


 それより以前、「耿秉こうへい」が匈奴きょうど討伐を願い出てきた。

武帝ぶていのように西域を制圧し、匈奴の右翼を断つべきです」

 明帝めいていもその進言に従い、耿秉および「竇固とうこ」に兵を預け涼州りょうしゅうに出撃させた。竇固は副官の「班超はんちょう」を西域に遣わせた。鄯善ぜんぜん王は班超を厚くもてなしたが、そこに匈奴の使者がやって来ると、たちまち班超らの扱いがぞんざいになった。そこで班超は付き従ってきた三十六人に向けて言う。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、である!」

 班超の軍はすぐさま匈奴の使者が寝泊まりする天幕を襲撃、使者およびその従者三十人あまりを斬り殺した。この事態に鄯善は国を挙げて怯え上がった。班超は鄯善王にかんの威徳を語り、以降匈奴と通好せぬよう通告した。

 班超がさらに于𥧑うてんに使者を送ると、于𥧑王は宮廷に来ていた匈奴からの使者を斬り、漢に恭順を示した。こうして西方諸国はみな人質に王子を送って従属し、西域が再び漢の支配下に収まった。

 こののち竇固らは車師しゃしを撃破したのちに帰還。その後西域には「陳睦ちんぼく」を西方総督とし、「耿恭こうきょう」「関龕かんがん」を配下将としてそれぞれに西域を監視させた。



蒙求もうぎゅう

戴封積薪たいほうせきしん 耿恭拜井こうきょうはいせい

 後漢の役人、戴封の任地が日照りに襲われた。戴封がいくら雨乞いの祈祷をしても、なかなか雨が降ろうとしない。そこでついに戴封、自らを生贄として薪の上に自らの身を置いた。するとついに雨が降り出したという。

 後漢の将軍、耿恭。西方の将として赴任したところ、匈奴にしばしば襲われた。撃退の上攻め立てたはいいが追撃先で水を使い切り、渇きに苦しむ。井戸を掘っても水が出ない。そこで耿恭、井戸に向けて祈りを捧げた。すると、なんと水が湧き出したという。

 ふたりの祈りは、天に通じたのだ。

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