03-01-13 漢六 光武帝劉秀11

 光武帝こうぶてい隗囂かいごうを滅ぼし、隴右ろううを平定した。しかしある日嘆息しながら言う。

「人は足りていないことを苦しむものだ。既に隴西を獲得しているのに、更にしょくを望むとはな」

 こうして「呉漢ごかん」らに兵を率いさせ「岑彭しんほう」と合流の上蜀討伐に向かわせた。岑彭は荊門けいもん、つまり長江ちょうこう下流に戦艦を配備していた。呉漢は水戦準備を解除させようとしたが、岑彭は解除を拒絶する。そこで光武帝が岑彭に言う。

「呉漢殿は陸戦には長けているが、水戦には慣れていない。荊門に集めた水軍の運営はあなたに一任する」

 そこで岑彭は水軍にて長江を遡上、迎撃してくる公孫述軍をことごとく破り、向かうところ敵なしであった。公孫述こうそんじゅつは岑彭を恐れて刺客を遣り、岑彭を暗殺させた。

 次発となった呉漢は岑彭軍を回収の上成都せいとに進撃、公孫述を攻め破り、殺した。こうして蜀が平定された。


 涼州りょうしゅうを支配していた「竇融とうゆう」が支配下の武威ぶい張掖ちょうえき酒泉しゅせん燉煌とんこう金城きんじょうの太守を率い光武帝に謁見した。竇融は光武帝が即位した頃に自立し、後に光武帝の元に臣従する旨の書を届けた。このため光武帝は竇融を涼州牧に任じ、返書にこう綴った。

「隗囂殿であれば、遙か昔、しんの時代の南海なんかい人の任囂じんごう尉佗いだに南海七郡を擁して独立せよとそそのかすようなことをきみに言ってきそうだな」

 ちょうど隗囂より誘いを受けていた河西かさいの者たちはみな驚き、光武帝には千里眼があるのだと悟った。このため隗囂と光武帝が戦端をひらいたときに竇融は五郡の兵いて漢軍と合流、ともに隗囂の軍と戦った。そして蜀が平定されたところであたらめて忠誠を誓い、冀州きしゅう牧に任じられることとなった。


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