03-01-12 漢六 隗囂 2

 馬援ばえん隗囂かいごうのもとに帰還すると、隗囂はさっそく会談の様子を聞いてくる。馬援は答える。

「陛下には才覚、明察、勇猛、知略、いずれもが備わっており、およそひとが敵う相手ではありません。しかも胸襟を開いて私に接してまいり、隠し立てをしようという節もございませんでした。闊達にして節度ある振る舞いを貫かれるところは、まこと劉邦りゅうほう様に似ておられると言えるでしょう。しかしご自身もまた経典に深く接し広く群書にあたっておられます。その上で政や演説にも長けておられる。このようなお方は、およそ過去にはおられなかったことでしょう」


 隗囂は問う。

「劉邦様と比較しよう、というのか?」


 馬援は答える。

「劉邦様について、どう我々が評価を加えられましょうか。ただ分かるのは、陛下が政務を好まれ、その振る舞いがすべて法度に適っておられる、ということ。何よりも酒を好まれないところがよい」


 隗囂は不機嫌そうに言う。

劉秀りゅうしゅうのほうが劉邦様よりも優っていると言いたげではないか」


 隗囂はその後息子を光武帝こうぶていのもとに人質として送ったのだが、それから間もなくして反旗を翻した。このとき「班彪はんぴょう」に戦国時代の合従連衡の策について諮問し、公孫述こうそんじゅつとの連携について検討した。班彪は『王命論』にて光武帝に逆らう愚かしさを説いたが、結局隗囂はそれを聞き入れなかった。


 やがて馬援が改めて光武帝のもとに訪問、隗囂を説得したいと願い出る。光武帝もまた隗囂に宛てた手紙をしたため、馬援に与える。しかし結局隗囂は公孫述の配下に加わり、朔寧さくねい王に封じられた。このため光武帝もついに討伐の軍を興した。このとき馬援が米を盛って関中の地勢を象り、どのように漢軍が進むべきかを指示した。これを見て光武帝は言う。

「もはや敵は我が手中だな!」


 迫り来る漢軍を前に隗囂は西方に逃亡、やがて病を得、怒りの中に死亡した。まもなく息子の「隗純かいじゅん」も降伏し、こうして関中かんちゅうが光武帝の手中に収まった。

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