03-01-14 漢七 光武帝劉秀12

 42 年、だい王「盧芳ろほう」が匈奴きょうどのもとで死亡した。武帝ぶていの曾孫の劉文伯りゅうぶんはくであると自称し、光武帝こうぶてい即位頃に安定あんていで自立。匈奴が盧芳の自立を支援し、漢帝として扱った。盧芳の軍は周辺諸郡を襲撃して回ったがやがて光武帝のもとに降伏。しかし再び反旗を翻し、匈奴のもとに落ち延びた。そして落ち延びた先で病死したのである。


 46 年、匈奴が和親を求めてきた。光武帝もこれを受け入れ返報の使者を送る。

 呼韓邪こかんや単于が成帝せいていの時代に死亡してより匈奴は漢に臣従していたが、平帝へいていの時に王莽おうもうが単于に対してこのような命令を突き付けた。

「中国に二文字の名無し。単于も一文字に改名せよ」

 更に王莽が簒奪をなしてから、もともと漢が匈奴に与えていた「漢の兄弟」扱いを認める印璽を、新の一配下に過ぎない印璽に作り替えると、単于はこの扱いに怒り、新に襲撃、略奪を繰り返していた。

 光武帝が即位したときにも盧芳の後押しをしたり、烏桓うがん鮮卑せんぴとともに直接攻撃を仕掛けても来たのだが、光武帝が覇権を握ったことを悟ったのでようやく請和に踏み切ったのである。



 前漢ぜんかんの時代、西域諸郡は都護を置いて漢に統治してもらいたいと願い出ていたが許可されず、このため匈奴についていた。しかしその中でも「莎車さしゃ王のけん」や「鄯善ぜんぜん王のあん」は漢に使者と貢納品を収めていた。特に莎車よりの使者は回を重ねてきていたので、光武帝は莎車王に都護の印綬を与えようと考えた。しかし国境地域の郡主が印璽を回収した上、光武帝に「外人に大権を与えてはなりません」と上申する。このため光武帝も印璽を回収すべく命を下し、代わりに大将軍印を与えた。

 このことを莎車王は恨みに思い、大都護と詐称。周辺国はことごとく莎車王に従う。これに気を良くした莎車王は増長し、更に周辺諸国を併呑しようと企む。諸国は脅威を覚え、実に十八国の王が人質を光武帝のもとに送り、漢の都護を派遣して欲しいと願い出る。当時いまだ西方まで手を回しきれない状態であった光武帝は人質として送られてきた者に厚く手土産を持たせ帰国させた。再度の要請がなされたが、光武帝も再度却下した。

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