02-03-02 漢一 高帝劉邦 2

 劉邦りゅうほう洛陽らくよう南宮で盛大な酒宴を開催した。そこで劉邦が佐命功臣らや諸将に向け、問いを飛ばす。

「わしが天下を取り、項氏が天下を失った理由とは、何か?」

 臣下らが答える。

「陛下は人に各地を攻めさせたら、その地を功に応じて配下に分配されました。しかし項羽こううは功ある者も殺し、賢者を疑い、戦いに勝っても利益を分配しようともしませんでした」

 劉邦が更に答える。

「それでは一面に過ぎんのよ、いいか、わしは張良ちょうりょうのように謀略は立てられん。蕭何しょうかのように国家を運営することは出来ん。韓信かんしんのように軍を率いて敵を打ち破ることは出来ん。この三人は、みな傑物。しかしわしは彼らを用いることが出来た。しかるに項羽は一人の賢臣范増はんぞうをも用い切ることが出来なかった。これが項羽の敗因よ」

 群臣は大いに喜んだ。


 もと斉王の田横でんおうは五百人あまりとともに海の島に逃れた。そこに劉邦が召喚の手紙を送る。おとなしく出向けば再び王として取り立てる、と。田横は召喚にこそ応じたものの途中で自刎し、死んだ。なので劉邦は王の礼でもって葬った。この知らせを受け、島に逃れていた従者五百人たちもみな自殺した。


 せい人の「婁敬ろうけい」が劉邦に説く。

「洛陽は天下の中央、徳があれば栄えますが、徳なくば滅びます。それに引き換え秦の地は山に囲まれ川に守られ、四方を堅固に守られています。もし陛下がしんのように関中を拠点となされたら、それはもう天下の首を押さえたかのように天下を治められましょう」

 この進言に張良ちょうりょうも同意。そのため劉邦は関中かんちゅうに都を移した。


 なおこの後間もなくして、張良は引退を願い出ている。



蒙求もうぎゅう

李陵初詩りりょうしょし 田橫感歌でんおうかんか

 前漢の武将、李陵。匈奴きょうどに囚われて捕虜、と言うか客将として仕えることになった。そこに蘇武そぶという漢将が新たに捕まるものの、かれは断固として漢に帰還することを主張。認められる。蘇武を見送る際に李陵が送った詩、それが五言詩の始まりであった。

 せい田横でんおうかんの皇帝劉邦りゅうほうに仕えることをよしとしなかった。再三再四の招聘に根負けし出仕を受け入れたが、その途上で自殺。斉の臣下らもあわせて自殺した。とは言え劉邦の元に死体を届けなければならない。そこで棺桶を引く任を得た者は、表向き悲しみを示すことが許されないため、思いを歌に語らせた。これが「挽歌」の語源だ。なお挽歌を詠ったものも、劉邦に謁見ののち自殺している。

 悲しみにまつわる、二つの歌の興り。

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