02-03 高帝劉邦・呂雉

02-03-01 漢一 高帝劉邦 1

 劉邦りゅうほうかんの太祖、高帝こうていぎょうの末裔であり、「」をあざなとした。沛豊はいほう中陽ちゅうよう里の人だ。母が大きな沢のほとりで休息していたら、夢で神と出会った。折悪しく雷雨に振り込められたため劉邦の父が出迎えに行ったところ、劉邦の母の上に龍が覆い被さっていた。その後生まれたのが劉邦だ。鼻が高く、美しいヒゲを蓄え、左股には七十二個のほくろがあり、寬仁にして人を愛し、快活で度量が大きかった。しかし家業には見向きもしなかった。

 成長すると泗上しじょうの亭長となった。このときにかぶった竹皮の冠を貴人となっても身につけ続けたことから、その冠のことは劉氏冠りゅうしかんと呼ばれるようになった。


 咸陽かんように出たときに始皇帝しこうていを目の当たりとし、「ああ、大丈夫たるものかくありたいものだ」と嘆じた。占いに長けた「呂公」が劉邦を占ったところ「あなたのような高貴な相を示す方に会ったことがない、どうか我が娘を嫁にもらってくださらぬか」と言われた。彼女こそが呂雉、後に言う「呂太后」である。

 始皇帝はかつて、東南に天子の氣ありと予言を受けたことがあった。そこで東南の地に巡幸した際、秦にとっての災いの芽を潰そうとした。そこで劉邦は「芒山」「碭山」の山あいに逃げ隠れた。しかし劉邦の居場所を、呂雉はすぐに突き止める。これはいったいどういうことかと問えば、劉邦の上には常に瑞雲が立ちこめる、ゆえに探り当てるのが容易い、と答える。この話に劉邦は大いに喜ぶのだった。

 沛の地の青年たちはこの話を聞き、みなが劉邦に仕えたいと願い出てくるようになった。


 やがて、陳勝が決起。劉邦も沛で決起する。沛の年長者たちは沛の長官を殺害、劉邦を沛公に推戴した。また「蕭何」や「曹參」が沛の若者を集め、三千人もの兵を率いる勢力となった。掲げる旗は赤であった。

 その後項梁の幕下に加わり、大いに信任を得る。秦を滅ぼす先鋒として咸陽入り、三代皇帝の降伏を受け入れる。結果項羽と対立、ほうぼうで負け続けながらも最終的には勝利、皇帝となった。このあたりは楚漢戦争にて語った通りだ。



蒙求もうぎゅう

晉宣狼顧しんせんろうこ 漢祖龍顏かんそりゅうがん

 晋の宣帝、つまり司馬懿しばい。狼顧の相自体は狼が後ろを振り返るように、首が真後ろにまで回るさまを言う。が、そこに晋書が「帝內忌而外寬,猜忌多權變。」と書いたため寛容に見せかけて猜疑心の強い人の代名詞と化した。

 対する劉邦は龍のごとき貴人の顔、とされる。この辺りは劉邦を一通り終えた後の「劉邦クソ親父&クソ器デカ親父まとめ」にて紹介したいと思います。

 国を興したふたりの高祖の面相にまつわる話。


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